フリーWebカレッジ 組織運営学科 コース000001 小説式eラーニング 推理小説が教科書フリーWebカレッジ


小説式eラーニング 「ヒューマンエラー」 シンプルテキスト版 担当講師:蒔苗昌彦


●セクション6

 二人の保全課員は、空のジェットが収納してある位置まで、私たちを連れていった。ジェットは二つの車体が連結され一台となっていた。つまり二両編成である。

「じゃ、ちょっと動かしてみて・・・」先輩課員は後輩へ指示した。

 車体にはモーターとかの推進力はない。頂点までリフトによって吊り上げられた後、重力に引かれ落ちていくだけだ。
 後輩はジェット一両目の脇に立ち、車体の外側に取り付けてあるバーを両手でつかみ、引き戸を引くようにした。ワゴン車の横扉を開けるように・・・、とも表現できる。ジェットはのろりと動いた。

 A子さんの立場を演じる先輩課員は、ジェットの前、つまりパイプの間にある鉄板の上に立った。そして、両手をジェット正面に当て、前傾姿勢となった。壁を使ってアキレス腱を伸ばすような恰好に、よく似ている。

「きっと、こんな体勢でジェットを押したんですよ。だけどすぐには止まらないから、このまま、後ずさりして・・・」と言いながら先輩課員は後退していった。そして「もういいよ」と後輩課員に声を掛けてからゆっくり尻餅をつき、鉄板の上に仰向きで寝転んだ。そして、両足をパイプの上に置き、左右の車輪に左右の靴をくさびのように当てた。

 彼は安全靴を履いていた。すでに止まっている車輪をその安全靴の裏で叩いてみせた。ジェットの車輪も硬質とはいえ合成樹脂なので金属音はせず、鈍い音が少し響いた。

「こんな恰好で挟まれたあと、さらに進んでくる車輪に足を巻き込まれていったのでしょう」先輩課員は鉄板の上で仰向けのまま、脇に立っている私たちへ顔を向けた。
「悲惨だねえ。俺の足まで痛くなってきちゃったよ。そんなんじゃ、血もかなり飛び散ったんだろうねえ・・・」
「えっ?! 課長、昨日、現場を見たのではないのですか?」
 血という言葉にぎくりとした私は、反射的に質問した。
「うん。でも、救出後、時間が経ってのことだから。血も片付けてしまったんじゃないのかな?」
「血なんて、一滴も落ちてませんでしたよ。かろうじて皮膚が裂けなかったのでは? ユニフォームのズボンはかなり厚手の合成繊維だし。病院のほうでは、どう言ってました?」
 先輩課員が逆に課長へ訊いた。
「うーん、それがね。病院に行ったら両親が激怒してて、詳しいこと、訊けなかった。切断せずに済むという話を聞いて、少しホッとしたこともあったけど。なんにしても痛々しいねえ。もう、その恰好やめてよ」

 寝転がっていた先輩課員は起き上がった。

「アッちゃん。あ、いや、樫見君。何か訊いておきたいことある?」
 この課長の言葉で、保全課の二人は、私が労災の事務担当者であることが完全に分かったらしい。課長とやり取りしている間はチラホラとしか向けていなかった視線を固定した。

「えー・・・」

 A子さんへのインタビューを担当するという覚悟は出来ていたものの、それ以外の人に対してはまだだったので、私は躊躇した。だが、おそらくどれだけ深く堀り下げた質問ができるものかと興味を持ったのであろう。保全課員は、挑みかかるようにして私を凝視した。不思議にもその威圧感は逆に私の緊張を、ぱつんと音を立てるようにして断ち切ってくれた。今振り返って自己分析すれば、生来インタビューが得意なのにもかかわらず、事務仕事に埋もれ、自分でも気づいてなかったのだ。※1

「被災者も、安全靴を履いていたのでしょうか?」
保全課でなくても、スリルライドの現場で作業する者は全員、安全靴が義務づけられてますよ。※2 ただ、施設管理部の安全靴は、見ての通りゴッつい安全靴だけど、彼らの安全靴は中に鉄板は入っていても外見はスニーカーのようなデザインです」
「つまり、安全性が低いということですか?」
「その辺は分からないけれど・・・。でも、所定の基準は満たしているのじゃないのかなあ。でなければ、安全靴と称して販売できないはずだし※3
「いやあ、先輩。我々の履いている安全靴だって、上からの落下には強いけれど※4、前進するジェットの車輪に、土踏まずの辺りから斜めに巻き込まれていったら、きっと潰れてしまいますよ。※5 スピードが落ちているとしてもね」後輩課員が意見を挟んだ。
「実際には、どのぐらいの速度なの?」課長が訊いた。
「車庫に進入してきた直後のスピードは、早足で歩く程度です。でも、本線で騒音をたてながら走っているジェットを一度でも見てしまうと、ゆっくりとした速さに感じてしまいます。それで、油断したのかもしれませんね※6」先輩課員がコメントした。そして、他にも質問があるか、目で尋ねてきた。

「もし、どうしても人の手ですぐに止めたいと思った場合、何か手順はあるのですか?」
「ええ、ありますよ。さっき僕がやってみたのと逆をやるんです。こうやってジェットの脇に立って、車体の外側に取り付けてあるバーを両手で掴み、進行方向の逆に引っぱるんです。全体重を掛けてね。マニュアルにもイラスト付きで解説が出てますよ」後輩課員は実際にその恰好をしてみせてくれた。

「それにしても、なんで倒れたのかなあ。ただ後ずさりしていけばいいだろうに・・・」課長は独り言を言った。
「たぶん、ポイントの隙間につまづき、倒れてしまったのでしょうよ。つまづくと言っても、踵から後ろ向きにでしょうけど」
「え? そんな隙間、ポイントにあったっけ?」
「構造上、少しは隙間ができますからね。見てみますか?」

 私たちは、切り替えポイントがある位置まで戻った。たしかに、周囲には隙間があった。とはいえ、1センチすらない隙間であった。
 ほんとうにA子さんはこんなに狭い隙間に踵を引っ掛けたのだろうか? そうは思いがたい。※7
 だが、いずれにしても、この付近で後ろ向きに倒れて尻餅をついたことは事実である。そこへ車体が覆い被さってきたのだ。なんと運が悪いのだろう。私はポイント周辺を恨めしく見つめた。

 この私の思いに気づいたのか、保全課の後輩課員は再び語気を強めて否定した。
「なんにしたって、マニュアル通り、横のバーを引っ張って止めていれば、事故にはならなかったのですよ。本人の不注意としか言えませんね、やっぱり・・・」

 
  当コース冒頭へ 

  ビジュアル版へ  

  フリーWebカレッジのTOPページへ  

(c)アイディアファクトリー株式会社
※1:他者からの刺激によって、新しい能力が開発されることはよくある。だから、多少の精神的負荷があっても、新しい事態に立ち向かっていくことが大切だ。ともかく、誰だって、最初は、未経験者なのである。
※2:危険な作業が伴う現場で働く者全員に、安全靴の着用を義務づけていることは良いことだ。が、イージーメリット社が自主的に義務づけたのではない。日頃から、デニリア共和国の労働基準監督署が指導しているからである。架空の国であっても、公正な企業活動を指導する役所が必要なわけなのだ。ましてや現実の世界では、強い指導力が求められる。
※3:安全靴と称して販売するには、それなりの安全基準を満たしていなければならないであろう、という保全課先輩課員の推理は妥当である。ただし、架空の国デニリア共和国においては、国家が直接定めた基準ではない。工業規格として定めれた基準である。これは、工業規格を定めるための民間団体「デニリア工業規格機構」が主催する会議にて、工業界からの意見聴取を基に定められている。では、現実社会ではどうなっているのか? いずれ学習オプションにて研究課題として出しますので、心の準備を!
※4:安全靴が、上からの落下物の衝撃から足を守るのに長けているはずという、保全課後輩課員の推察は妥当。しかし、過信は禁物だ。
※5:過信は禁物という点において、斜めに巻き込まれていったら安全靴とはいえ潰れてしまうだろう、という保全課後輩課員の推察は妥当。
※6:人間の感じ方とは、たいていにおいて、相対的なもの。だから、本線を走行するジェットを観てから、倉庫に送り込まれたジェットを観て、ゆっくり動いているように感じてしまうことはありうる。この点において、被災者A子さんが油断をしたであろうという保全課先輩課員の推理は妥当である。
※7:運が悪い時には、狭い隙間だろうが、ちょっとした凸凹だろうが、そうした箇所にすらつまずき転倒してしまうものである。いや、そうした箇所が全くない平らな箇所ですら、転倒してしまうものである。ましてや、大きな重力が掛かっている状況下では・・・。被災者A子さんがポイント周辺の隙間に転倒したのか、その真実は永遠に不明となるが、アッちゃんが疑ってかかったのは、妥当である。

他のセクションへ飛ぶには次の該当番号をクリックして下さい(合計40セクション)。
         10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40  


小説本文中に登場する人物・団体・施設・出来事等は全て架空(フィクション)です。
現実世界での労働災害防止活動についての情報は、 中央労働災害防止協会 http://www.jisha.or.jp/
のサイトをご覧下さい。
 


●制作・著作:蒔苗昌彦(担当講師)

二次使用について
当コンテンツはすべて、閲覧者自身の勉強用としてパソコンのモニター画面上で閲覧する行為に限定し、公開しています。それ以外の使用(組織的利用・商業利用・転載等や印刷等)については著者から二次使用許諾を書面にて得て下さい。なお、二次使用許諾を得て頂いた法人・個人には、特典として、印刷に最適のレイアウトデザインをしたA4版PDF版を で貸し出し致します。二次使用許諾についてのお問い合わせは、必ず、電子メールにてご連絡下さい。

 info@free-web-college.com

小説式eラーニング「ヒューマンエラー」日本語版version2.00    


●以下は、推薦サイトです。(フリーWebカレッジ以外の教育・eラーニング系サイト)

1.財団法人高度映像情報センター eラーニングその他各種教材のポータルサイト 7000を超える教材情報を登録
  → http://www.kyouzai.info/ 

2.マサチューセッツ工科大学(MIT)オープンコースウエア(OCW)。同大学が公開する講義・教材にて誰もが で勉強ができる。
  → http://ocw.mit.edu/

3.日本eラーニングコンソシアム(eLC)が運営するeラーニング情報ポータルサイト。eラーニングに関する最新ニュース、企業・学校のインタビュー、講座、イベント、書籍の紹介。また「eラーニング」製品を検索できる。
  → http://www.elc.or.jp

4.総務庁消防庁が運営する、防災・危機管理がテーマのwebカレッジ。
  写真を活用した分かりやすい内容で、子供から大人、一般人から専門家まで、防災・危機管理を幅広く学ぶことができる。
  → http://www.e-college.fdma.go.jp

to the english contents 0000001