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当時僕が住んでいたアパートは、最悪だった。
築年数不明な木造モルタル作り。風呂なし。湾岸埋め立てで漁港の機能を失ってしまった浦安の小規模な魚市場の隣りに建ち、臭いがぶんぶんしていた。とはいえ市場から直接漂うわけではなく、駐車場の一角に魚のアラを捨てる大きなゴミ箱があり、そこから漂う。環境規制が厳しい現在では考えられないことかもしれない。もっとも、既得権の観点からすれば、魚市場が先に存在しアパートは後から建ったのであろうから「住もうと住むまいとご自由に・・・」となるのかもしれない。
が、慣れれば何とかなるものである。なぜならば、時には「おや? 磯の香りかな?」と感じられることもあり、風情がなくもないからだ。
或る友人が今でも競馬場の付近に住んでいて「慣れればこれもなかなかいいものだよ」と言う。何事も信頼できる人物なので、その宅へちょくちょく遊びに行くうちに、僕もそう感じられるようになった。それでも敢えて比較をすれば、魚のアラのほうが慣れやすい気がする。お馬の創作物は食べないが、お魚はありがたく食べるものだからなのだろうか。
最悪のアパートと述べたのは、むしろ北向きの部屋であることと、一階がスナック風の居酒屋になっていて深夜までカラオケをやっていることに起因する。特に北向きは、仕事もなく金もなく部屋にいる時間が長くなった僕にとっては、陽が当たらず辛かった。
なぜ、こんな部屋を選んでしまったのか?
就職したての頃は、学生時代の思い出が無数に残る街から離れ難く、往復五時間かかろうとも通勤していた。だが、交替した新しい上司にひどくイビられ、心労が蓄積してきた。そこで、せめて睡眠時間を増やそうと、会社に近くて家賃が安ければどんな場所でも構わないとの条件で探した。どうせ残業で陽が落ちてから帰り、寝るだけである。方角など気にならなかった。
「不動産に掘り出し物なし」と業界の人は言う。安いなら安いなりの理由があるわけだ。ちなみに自殺者を出した部屋は、相当家賃が低くなるらしい。僕の部屋はあくまで「魚のアラ」「北向き」「風呂なし」「深夜カラオケ」の四拍子揃っての価格であったが、もしこれに「自殺者の幽霊」でも加わりでもすれば 同然で貸し出されることになるのだろう。
冷えきった部屋で安ウイスキーを飲みながら、僕は祥子ちゃんのことを考えた。
なぜ、片思いのままだったのか・・・。
僕のように冴えない男があんなに素敵な彼女から好かれるわけがない、と最初から諦めていたのが原因だ。これでは、男女関係が芽生えようがない。
じゃ、なぜ、冴えない男と自己評価していたのか。こちらの原因は山ほどある。たとえば、成績も世界史を除けば下から数えたほうが早かったし、スポーツはどれも苦手だった。かろうじてロックギターを弾く趣味があったが、学園祭で一度下手くそ呼ばわりされてからは独りこっそりアンプを使わず弾いていた。それに、どちらかと言えば僕はイジメを受けるほうの立場で、「よしお」という名前にもかかわらず、その逆の「だめお」と命名されよく野次られた。
「おい、だめお! おまえ、何が面白くて生きているんだよ!」
この指摘は当たっていた。本当にイジメをする奴らは人をよく観察する。「他にすることはないのかしら?」と思えるほど観察する。たしかに、自分を肯定できずにいた当時の僕にとっては、人生なんて何も面白くなかった。
「おまえなんか死んじまえよ!」と言われた時も、反発するどころか「ごもっとも」と思ったほどである。
(きっと、ステキなご主人と一緒に、素晴らしい家庭を築いてるんだろうなあ・・・。それに比べて、僕はただのプータロウじゃないか。既婚の祥子ちゃんはもう無理だとしても、もし同じぐらい素敵な独身女性に遭えたらどうするんだ。男だって婚期を逃したらアウトだぞ!)
こう思った僕はひどく惨めになってしまった。と同時に、何とかしなければ、という焦りでイライラしてきた。イライラを押さえようと安ウイスキーを煽った。そうしているうちに前後不覚で寝入ってしまった。
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