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空港を去った後、金星広告と米国の広告代理店が半額ずつ出資した現地法人へ行った。両者の名前を取り「金星ロックパルス」という社名で、略してKRPという。秘書の彼女はKRPへは同行せず、空港から単独タクシーで直接ホテルへ帰った。
「昨晩、ほとんど寝ていなくって・・・」と彼女は言い、それを横で聞いていた尾倉浜さんはヒゲと一緒にニンマリした。振り返ってみれば、会議も含め、実務の場面では一度たりともこの秘書を見たことはなかった。
米国側の出資者であるロックパルス社が入っているビルのフロアー、その一角をKRPのロサンゼルス支社が間借りしていた。それまで東京の狭さしか知らなかった僕は、ロックパルス社のオフィスに腰を抜かした。玄関も、受付も、会議室も、各人の部屋も、トイレも。そしてコーヒーを入れるキッチンまでも。どれもが何倍も広い。そして内装がゴージャスだ。
ちなみに、最近、ロサンゼルスっ子の自慢話として聞いたのだが、同じ米国の大都市でもニューヨークのオフィスはここまでのゆとりはないそうだ。だから、ニューヨーク勤めの人間が憧れることもよくあるという。ニューヨークの人間でも憧れるぐらいなのだから、東京の僕が腰を抜かしたのは実に当然というわけである。
(完全企画社が入っている倒壊寸前の四ッ谷のビル。なにかの悪夢じゃなかろうか・・・)僕は真剣に考えた。
KRPのロサンゼルス支社には社員が一人しかいなった。そのことはKRPに着いてから知った。そのたった一人の社員は、ニック・スパニオルという名前だった。年は僕より上のようで、外見は全く日本人。というのも、彼の実のお母さんは日本生まれの日本人。実のお父さんも日系米国人。二人は離婚し、ポルトガル系米国人と再婚したお母さんに養育されたので、名前だけでは日系人と判らない形となっていた。
ニックは日米双方の大学を卒業したうえMBA(経営修士号)まで取得し、語学も数カ国達者なそうだが、気取らず人当たりもソフトな人柄だった。しかしながら、正直、蚊西君同様、そのぶん頼りない人間にも思えた。
(尾倉浜さんのように期待ばかりが高まるのもなんだが、ニックのように弱々しい第一印象も問題だな。要するに中庸か・・・)
「尾倉浜さんも既にご存じかと思いますが、KRPロサンゼルス支社は、事務連絡の機能しか果たしていないため、私と秘書しかいません。それに、私はイベント実施の経験は無いのですが・・・。それでも構わないのでしょうか?」ニックは不安げに言った。
「いやあ、構わんですよ。私の方から伝える内容に沿って、現地の業者さえ手配してくれれば、後は私が仕切りますから・・・」
尾倉浜さんは実に簡単な事のように言った。
「そうですか。ご指示に従い業者を手配するだけでいいのなら、お役に立てるかと思います」
ニックはホッとしたようだった。
「ところで、なぜ私をご指名頂いたのですか?」
「イベント自体は私がハンドリングするからいいんですが、英語が今いちでね。ましてやメキシコの言葉は全く駄目ですから、これら達者な人を捜して金星グループのネットワークを当たったところ、あなたに行き当たったんですよ」
「そうですか。語学ならどうぞお任せ下さい」
尾倉浜さんは企画の概要をざっと説明し、「今後、確定した事から順次連絡を入れるので、よろしく」と締めくくった。
ニックは何か質問したそうに見えたが、口をもごもごするに留まった。そこで、僕はニックの代理になったつもりで、バカ呼ばわりされるのを承知で予算について触れてみた。
すると、意外にも尾倉浜さんは僕を叱らず、「うむ。おまえも、たまには良いこと言うな」とゆっくり頷いた。そして、「ニックさん、その辺のところ、アバウトで構わないから調べておいて日本に知らせて下さい」と指示した。
「は、はい」ニックはあまり納得できていないような返事をした。
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「彼、大丈夫ですかね?」
やはりニックが頼りなさそうに思えた僕は、ホテルへ帰る途上、蚊西君をさしおき、つい口走ってしまった。
「バカ!」
そう。この時やっと気づいたのだが、馴染みのない人間がいる前では、決して手下をバカ呼ばわりせず、むしろ、優しいボスを思わせるような口ぶりで話す。が、お馴染みのメンバーに戻ったとたん、たたみ込む。それが尾倉浜さんなのだ。
「バカ! こんな簡単な事ができないわけないだろ。業者に一本電話を入れるだけのことじゃないか。英語が話せりゃ、俺が自分でやってもいいぐらいだ。だいたいなあ、KRPは代理店なんだぞ。こういうことを代理でやるから代理店って言うんじゃないのか。あ?」
尾倉浜さんはけだるく尊大に言った。そして、意地悪そうな顔つきで考え込んでから言った。
「それともようお。記録係のおまえがこっちに残って自分でやるか、あ? ロスにオフィスも無いっていうのによ」
要するに、KRPであろうと何であろうと丸投げし、差益を頂戴する仕組みなのだろう。だが、新入社員クラスの女の子にすら遅れること数年、ようやく渡航できたのも尾倉浜さんのおかげだし、何よりもこうした差益商売のおかげだ。
「ま、いいか・・・」
「あ? なにか言ったか?」
「いいえ、何も・・・」
「とにかく、記録係は口ごたえするな。分かったか?」
「はーい!」
三日目はフォンタナという町に行った。片道、車で一時間半ほどだった。この町に、クライアントのカルフォルニア新工場があり、ニックも交え見学をした。
四日目には、尾倉浜さんと秘書と蚊西君は、回転ガールズの関連コンベンションをやっている町へと移動した。僕は一人で帰国した。結局、誰もメキシコには行かなかった。
たった三泊。だが、僕にとっては初めての海外旅行だった。観光をしたのはマリナデルレイだけで、ホテルも町はずれの変哲もない建物だったが、「カリフォルニアへ行った」という概念を獲得できただけでも革命であった。
帰りもまたビジネスクラスだったが、隣りの席では年配の日本人ビジネスマンが早々に大イビキをかき始めた。うるさくて寝付かれない。どのみち だから、ワインの後さらにウイスキーを飲んだ。
何回でも嫌がらずお代わりを運んでくれる客室乗務員。酔うほどに彼女がディズニー映画「ピノキオ」のブルーフェアリーに見えてきた。子供向けの映画にしては随分とセクシーに描かれた大人の妖精である。
(また、 で渡米できますように!)
その後姿にこっそり手を合わせてから、僕は帰路の眠りについた。
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