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しばらく、尾倉浜さんに接する機会はなかった。回転ガールズ連盟との仕事が忙しくなったとの理由により、会議が行なわれなかったのである。
僕のほうも、完全企画社から他の仕事が続けて入ってきた。
どこぞやの会社の創業五十周年イベントだの、どこぞやの地方博覧会のパビリオンの職務分掌マニュアルだの。なんせ出来高制である。数をこなしていかなければ金にならない。そのため、尾倉浜さんの案件ばかりを考えていられる状態ではなくなった。
「ちゃんと進んでいるみたいだよ・・・」
金星広告の本社ロビーで、ばったりと蚊西君に会った時、彼は言った。
「尾倉浜さんが直接KRPのニックとやりとりしてるようだから、大丈夫さ」
なんだか他人事のようだが、プロデューサーの直下となるアシスタントプロデューサーが言うのだ。信じておこう。が、もっとも、蚊西君は関与しないで済むことを望んでいるのかもしれない。何しろ遙か太平洋の彼方でのことだ。蚊西君も僕同様、これ以外に多くの案件に関わっていたので、ニックが全部やってくれれば楽である。ともかく、準備はすべて尾倉浜さんの遠隔操作により米国内で行われている模様だ。
こんな調子で時間は過ぎ、イベントまで残り一ケ月近くとなった。
「そういえば、アメリカとメキシコの案件、どうなっているんでしょうねえ」
別の案件で完全企画社のオフィスに呼ばれた時、藻鷹さんは訊いてきた。そして、愚痴をこぼした。
「いやあねえ、田中さんのこの前の渡米費用、丸々。旅行代理店から請求書が届いたんですよ」
「ええっ! どうしてですか?!」僕はひどく驚いた。
「私もどういうことかと思って、尾倉浜さんに電話してみたんだけど。特にアメリカでやってもらう仕事が田中さんには無かったから、ということでね。『行ってみてから分かった。悪いな』と詫びてましたけどね・・・」
たしかに、僕がすることなど何もなかった。金魚の糞のように付いて回っただけである。でも、それは蚊西君とて同じこと。だいたい、プロデューサーの立場ならそのぐらい渡米前に予想できてもいいはずだ。
「でも、田中さん、気にしないで下さい。他の仕事で穴埋めしてくれると言ってましたから。こういうの、尾倉浜さんがよくやるパターンなんです。困ったことに・・・」藻鷹さんは苦笑した。
(ま、二人は上司・部下時代からの腐れ縁だ。「穴埋め」という言葉の通りなのだろう)
そう思うことにはしたものの、やはり気が塞いだ。
「酒でも飲みに行きませんか? まだ、ご一緒したこと、ありませんよね」藻鷹さんが誘ってくれた。
アパートに帰ったところで、安ウイスキーで酔うしかない。僕は即OKした。
たった一人の女性社員はまだ残務処理があると言い、ビルに残った。藻鷹さんと僕は、まだ夕陽が沈みきっていない中、新宿寄りの居酒屋へ行った。居酒屋は古くて薄汚かったものの、どこか落ち着く雰囲気があった。
「ところで、アメリカでは、そのKRPとやらのニック君が、順調に準備しているのですかね? 尾倉浜さんの口ぶりだと、田中さんの役目は一発目に作った企画書で終わりといった感じでしたけれど・・・」
「そう言えば、実施職務分掌マニュアルの作成も、英語版を作る必要があるので最初からニックに任せると言ってました」
「そうですか。どうやら、うちから買って出る仕事は無さそうですねえ。まあ、尾倉浜さんから改めて指示でもあったら、またお願いします。もっとも、昨日、ギリシャで開かれる回転ガールズだとかいう団体の会議に出張してしまったそうので、しばらく連絡はないでしょうけど・・・」
(ギリシャ? この国でも回転ガールズのコンベンションがあるのだろうか・・・)
いぶかしく思えたが、どのみち愛人旅行の口実だろうと判断した僕は、後日事実を調査してみようなどとは考えなかった。
「ところでね、田中さん。企画書だの、職務分掌マニュアルだの、販促印刷物だの。こういった小口の仕事ばかりやっていたんじゃ、売上があまり伸びないじゃないですか」
「はあ・・・」
それが完全企画社の生業とばかり思っていたため、僕はさえない応え方をした。が、藻鷹さんは気にせずに続けた。
「だからね。大きなイベントを丸請けするチャンスを狙っているんですよ」
居酒屋の電球の下、藻鷹さんは夢見る少女のように瞳を輝かせた。
「今回のイベントもうちが丸請けしていたらなあ、とか思ったりもするんですよ。それを実績に『海外イベントの完全企画社!』なんて感じで業界へ売り込んでいけるかと思って・・・」
いつも金をきっちり払ってくれる藻鷹さんは本当にいい人だった。役に立てるものなら役立ちたい。だが、尾倉浜さんはKRPのニックへ既に丸投げ。残念だが今回は諦めるしかない。
「また別の機会があればお手伝いさせて頂きますよ」
僕は藻鷹さんへ意思を伝えた。
「ところで、良かったら女性のいる所にでも行きませんか?」
たらふく飲み食いし居酒屋に居ても仕方なくなった時、藻鷹さんは切り出した。
その当時も、女性が横に付き添う形式の水商売は全国津々浦々、無数にあったことと思う。お金に窮していた僕は、二、三回しか行ったことがなかったものの、あまり好きになれないでいた。なぜなら、上手なわけでもない他人のカラオケにさえぎられ、一緒に来た仲間ともホステスとも会話ができず、やたら薄い水割りで腹をチャポチャポさせながら何時間もじっと座っているなんて、拷問以外の何物でもなかったからだ。カラオケボックスが普及していない時代だったから、仕方なかったのかもしれないが・・・。
その点、今さら僕が言い出すと陳腐になること必至だが、現代の「キャバクラ」は良く出来たシステムだ思う。そのシステムから学ぶ経営術やサービス学といったようなビジネス本がどこの書店にでも並べてある理由がよく分かる。水割りの薄さ度合いは引き続き同じかもしれないが、少なくとも見知らぬ人のカラオケに妨害されることはない。一緒に来た仲間と会話しようと、自分の娘にも近い年齢の子と会話しようと、自由である。
もっとも、現在にせよ当時にせよ、銀座とかの高級クラブに行く財力がない人間だから、この程度の評価しか下せないのだろう。これも今さら僕が言い出すと陳腐になること必至だが、真の高級クラブならば、どんな時代でもカラオケで接客をはぐらかすようなことはせず、ホステスさんの見事な話術で応対するのだろう。
が、何にしても、次々仕事をくれる藻鷹さんの誘い。これこそ大人の付き合いというものだ。そう考え、お供することにした。
藻鷹さんが行きつけの店は歌舞伎町の外れにあり、行き慣れていない僕にでも中級以下の店であることが判別できた。
平日のせいか、店はガラガラだった。だから、たくさんの女性がどっと回りを囲んだ。藻鷹さんは嬉しそうだし、それに何よりも見知らぬ人のカラオケがない。予想とは異なり、僕はいい気分となった。が、お腹がちゃぽちゃぽするのは嫌だから、ウイスキーはロックにしてもらった。居酒屋のビールと日本酒に追い打ちがかかった。真横に座る女性は順番に入れ替わっていった。
いよいよロレツが回らなくなるほど酔ってきた時、僕はドキリとした。横顔が祥子ちゃんそっくりな女性と入れ替わったからである。
職業上の義務感によるのか、彼女のほうから身体を軽くすり寄せてきた。
複雑な心境になった。ベタベタおさわりをしたいという衝動も起きたが、同時に、そんなことをしたら何か神聖なものが汚されるような嫌悪感が走った。
葛藤が続いた。
結局、妥協案として僕は彼女にダンスを申し入れ、二人でフロアーに出た。
藻高さんが熱唱するカラオケをバックに、足をふらつかせながらも優しくリードした。柔らかい物腰。胸の膨らみ。本物の祥子ちゃんと踊っている錯覚に陥るべく、自分自身を煽った。
別れる時、僕は名前をたずねた。
「名前? そうね。あなたの一番好きなので呼んで」
「しょうこ・・・」
「それがあなたのいい人なのね。カードにそう書いてあげるわ」
彼女は小さなポーチから名前が空欄の名刺を取り出し、ひらがなで書き込み渡してくれた。
帰りのタクシーの中で、上着の内ポケットからその名刺を取り出した。祥子ちゃんのイキイキした字とは似ても似つかない投げやりな字が、薄暗い車内に浮かんでは消えた。
アパートのすぐ横に止めてもらったタクシーから降り、千鳥足で階段を昇った。一階のカラオケ酒場も墓場のように静まり、鉄製の階段の音だけが響いた。
ドアの前まで辿り着くと、電話が鳴り出した。やたら大きな音に聞こえた。慌ててカギを開け、部屋に飛び込み受話器を取った。
「おう、田中。夜中に悪いな」
なんと電話は尾倉浜さんからだった。つまり、ギリシャからの国際電話ということだ。
「急で悪いけどなあ。ひとつ、アメリカに飛んでくれないか?」
おまえとかバカとかの枕言葉とは無縁の丁寧な言い回しだった。アパートの電話番号は、藻鷹さんから聞いたようである。藻鷹さんは歌舞伎町と同じ新宿区内に住んでいたから、僕より早く家に到着し電話を受けたのであろう。
「いやなあ、クライアントの社長がなあ、進捗状況を聞きたいだなんて、急に言い出したらしいんだ。佐加さんから通報があったんだけどよ。俺は、弟の常務と話を詰めていたもんだからな。参っちまったぜ・・・」
国際回線の調子が悪かったのだろうか。尾倉浜さんの声には一々エコーが掛かっていた。泥酔の脳にエコーが催眠効果をもたらし、何一つ自発的に思考できず、ただ「ハイ、ハイ」と受け答えをした。
「それでな。先方の社長は、今、ロスにいるらしいんだ。俺はギリシャに来たばかりでよ、まだ用が済んでないから、KRPのニックにプレゼンさせることに段取りをつけておいたがよ。一人ぐらい日本からも送り込まないと格好がつかないじゃないか。蚊西に行かせようとも思ったんだが、奴、英語全く駄目だしよ。通訳つけなきゃメシも食えないだろうからな・・・」
要するに、単なる形式的な立ち会いなのだから通訳を付けるだけ金がもったいない。ついては金星催事社の社員のふりをして渡米せよ、との指示だ。たしかに、僕ならレストランで食事するぐらい問題ない。藻鷹さんは承諾済みとのことだった。
(スチュアーデス様の背中にお祈りした効果があったのだろうか?)
もちろん、僕は引き受けた。
飛行機代、宿泊代、現地のタクシー代、食事代、その他諸々の経費をどうしたらいいのか分からない僕は、ひどい二日酔いと戦いながら翌朝一番で完全企画社へ行った。
藻鷹さんは、その場で現金十万円と会社名義のクレジットカードを渡してくれた。ついでに、他の仕事の日当と原稿料、合計十五万円ほどを精算してくれた。
「急なお願いだし、食費も全部払いますから。だけど、領収書とカードの控えはちゃんと取っておいてね」
「領収書のこと、英語でなんていうんでしょうかね?」と僕が訊いたら、藻高さんが首を捻ったのでそれ以上は聞かず、携帯用の和英辞典を買うことにした。高校の時から持っている辞典は厚くて持ち運びに不向きである。
完全企画社を出た僕は、そのまま四ッ谷駅付近の旅行代理店へ飛び込んだ。
「ビジネスクラスしかご手配できないのですが・・・」
しかし僕は、彼女の気遣いなど全く気にとめず、尾倉浜プロデューサーよろしく悠然とカードを出した。法人名義のクレジットカードと二十枚以上の紙幣を手にした僕は、すっかり強気になったのである。
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