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早朝、毛布もかけずに寝てしまった僕は寒さに耐え切れず目をさました。窓からは、薄らいだ空に今昇らんとする朝日が見えた。
太陽は、あっと言う間に真昼のように輝き出した。ただでさえ朝日は夕日同様大きく見えるから、すごい迫力だ。僕は窓にへばりついた。全身に陽光が当たった。とりあえずシャワーを浴びるだけの元気が出た。シャワーを浴びた後、Tシャツとトランクスの格好でベッドに腰掛けた。
腕時計を見るとまだ七時前。身体が暖まり心地よい眠気がした。オフィスが開く時間になったらKRPへ電話を掛けてみようと思い、腕時計のアラームを九時にしてからもう一度寝た。今度はちゃんと毛布の下に潜り込んだ。しかし、1時間も眠ることができなかった。電話のベルに起こされたのである。
「朝早くからすみません!」
上手な日本語、しかし、焦った口調で男が切り出した。寝ぼけていた僕は一瞬、ニックかと思った。ところが、違った。
彼の名前はグレン石袖といった。ビデオ撮影の日米間コーディネーターが職業らしい。ニックから、工場の外観を映像に収めるよう依頼を受けている。カルフォルニアのフォンタナ工場は撮影済みだが、メキシコ工場の撮影は未だ。今日はその撮影予定日なのである。
そう言われてみれば、カルフォルニアでのパーティーにおいてはメキシコ工場の、メキシコのパーティーにおいてはカルフォルニア工場の、それぞれの外観をプロジェクターで上映するという記述を企画書に載せたことを思い出した。
太陽が真上に来るよう、昼に撮影をしたい。そのため、今日早朝に合流してメキシコへ向かうことになっていたのだが、ニックが待ち合わせ場所に来ない。グレンはニックの自宅やオフィスに電話を掛け続け、たまたま早く出勤してきたカレンから僕の存在を知った。ニックからの発注がそもそも急であったため、グレンはメキシコの下見をしておらず、工場長への面通しができていない。すでに済んだカルフォルニア撮影同様、今日もニックによるコーディネートを当てにしていた。
早口で一気に説明を終えたグレンの要望は、僕の同行だった。ニックの代理人としてである。たしかに、僕は昨日行ってきたばかりだし、ティファナまで送ってくれた工場長と面識がある。
窓からはどんどん昇っていく太陽が見えた。グレンも強く迫る。僕は受諾した。
今日はワゴン車だった。昨日のバンよりも車高は高いし車幅も広い。排気量もずっと大きいようである。積んだ機材は、ビデオのカメラとデッキとモニターTV、それにテープと三脚。だから貨物スペースはがら空きだった。
運転手はカメラマンで、英国系米国人。僕よりも年下の二十歳中盤すぎぐらい。体格のいい男だった。
助手席には通訳の女性。スペイン系米国人。僕と同じぐらいの年齢。スペイン語が出てくるハリウッド映画で、台本チェックや俳優のスピーチ指導もしているそうだ。グレンと僕は貨物スペースに乗った。
幸い、今日の渋滞は軽かった。
市内を飛び出した車は、ロックのカセットをガンガン鳴らしながら、ハイスピードで高速を南下した。昨日も白髪の運転手が最大限努力してくれたわけだが、それはとはケタ違い。どんどん他の車を抜いていく。スポーツカーでさえ抜いていった。若さと度胸。ロックと排気量。それさえあれば、たとえ車高が低くなくてもハイウェイスターになれる。車に乗り付けない僕は初めて知った。もはや板橋区の真っ赤なアルファロメオは必要ない。
グレンと僕は、最初あぐらをかいて座っていたが、すぐ冷凍マグロのようにごろんと横になった。大きな車体で次々と追い抜き・追い越し、ワゴンは左右の進路を頻繁に変え、左へ右へと大きく揺れる。あぐらの姿勢を維持するのは容易じゃない。が、前後にはあまり揺れなかった。アクセル全開のままブレーキがほとんど使われなかったからである。
開け放しの窓から風が吹き込みブアーブアーと鳴り、負けじとロックのボリウムは上がった。そのためグレンと僕は怒鳴るような大声で会話をした。
グレンのお母さんは日本人、お父さんは米国人。ベトナム戦争中、軍に勤めていたお父さんが日本の基地にいた時に結婚し、その後、米国に戻り、グレンやその兄弟をもうけたとのことだった。
大声で話すのに疲れ、睡眠を取ろうと思い目を閉じた。だが、冷凍マグロは冷凍マグロなりにバランスを取らなければならず、寝付けない。仕方なく、窓ごしに青い空を眺めて時間を過ごした。
十一時ごろ、サンディエゴを抜けた。ドライブスルーでハンバーガーを買い、車の中で食べながらさらに国境へ向かった。
カメラマンはあらかじめ通行許可証を取っていた。国境ゲートでは車を止めてエンジンを切り、貨物スペースから機材を取り出し書類と共に職員へ見せた。
「何をやってるんですか?」僕はグレンに聞いた。
「輸出入許可のチェックですよ」
「え? 機材を売り払いに行くわけでもないのに、なんで輸出入の許可がいるんですか?」
「この処置をしておかないと、メキシコに入る時もアメリカに戻る時も、売るために持ち込むものと解釈され、二度税金を取られてしまうらしいんですよ」
考えてみればそうだ。いくらこちらが入国後売り払う意思はないと主張したところで、ゲートに立っている税関職員にはその真偽のほどは判断できない。だから事前に然るべき申請をして当局の証明をもらっておく必要があるのだろう。が、いずれにしても国境を越えるのは、ワゴン車と撮影機材だけ。職員が一点ずつ書類と照合してもたいした時間は掛からなかった。
(さすが、若かろうとプロは準備万全だな・・・)僕はとても感心した。
車ごとメキシコへ入れたし国境越えもスムーズだったから、今日は遅刻せず、太陽が真上に来る十二時寸前に到着できた。
僕はグレンと通訳を連れ、工場脇のオフィス棟に入った。工場長を呼んでくれるよう通訳を通じて警備員に頼んだ。現地雇用の警備員は昨日同様無関心な様子で、淡々と対応した。
工場長は驚いた表情で二階から駆け降りてきた。
「連日、一体、何なのっ?!」昨日僕を町まで送ってくれた人とは思えないほど声を荒げた。
(えっ?! ひょっとしたら・・・)
「次のプレゼンはフォンタナ工場でしょ! なんでまた来たの?!」
(あーあ、やっぱり・・・)
ニックは工場長へ今日の撮影のことを通知していなかったのだ。
やむなく僕は全く初めて依頼をするかたちで、太陽が真上にある今のうちに撮影をさせて欲しいと伝えた。
工場長は昨日の秘書室長すら穏やかに見えるほど怒り出した。というのも、建設工事は終わったばかりで工場の周囲にはまだゴミが散乱していた。ドラム缶、セメント袋、角材などなど。この様子を撮影され華やかなお披露目イベントで上映されたら大変だ。彼の激怒は当然である。
おとなしい人がいったん怒り出したら、怒ることが慢性化している人より始末が悪い。それを知っていた僕は、一瞬、日程を再設定しようかと思った。しかし、猛スピードを出すには不向きなワゴンに四人の命をかけ、やって来たのだ。
(くそーっ、なんとか食い下がるぞ!)
しかしながら、工場長の怒りもよく分かる。
(一体どうすりゃいいんだ!)
その時、不思議な現象が起きた。僕の耳元で祥子ちゃんの声がしたのである。いわゆる幻聴だ。
「脅すのよ」その声はきっぱり言った。
(えっ?!)
「今日撮影できなかったらイベントでの上映が間に合わない。そう言って、脅すのよ。工場長だってそれは困るはずだわ」
(でも、周りがこんなに汚れていると・・・)
「お願いするのよ。工場の人たち全員に、清掃を」
(そんなこと言ったって、事前に連絡しなかったこっちが悪いんだから・・・)
「田中君! よく考えて。あなたが悪くてこうなったわけじゃない。とにかく、お願いするだけでもお願いしてみなさい!」
十分後、僕は駐車場に全従業員を集合させていた。皆、メキシコの人たちだった。工場長は脅しに屈したものの、自分からは指示できないと部屋へ引っ込んでしまった。もっともなことである。建設会社の残務であるゴミ片付け作業は、彼らの職務ではない。雇用契約上も問題だが、いずれにしてもお昼の休憩時間帯。迷惑千万だ。
二百人ぐらい。ほとんど女性だった。皆、驚いて目を丸くしていた。昼食時、予告なしに緊急集合させられる体験など、生まれて初めてなのだろう。
グレンと通訳も僕のすぐ脇に立っていたが、誰も彼らを見なかった。視線はただ一点、僕に集中した。僕だけが日本人であったのと、僕だけが場違いな格好をしていたからだろう。なにしろ、よれよれとなった例の紺のスーツ姿だ。どうみてもメキシコの気候にあっていない。あの結婚式同様、また僕は一人浮いてしまったのである。
(集合させてはみたものの、協力してもらえるだろうか・・・)
声帯は緊張のあまり硬直してしまった。
(祥子ちゃん助けて!)
僕は空を仰ぎ見ながら心の中で叫んだ。すると、青い空に祥子ちゃんの姿がすうーっと浮かび上がった。いわゆる幻覚である。今度は何も言わず、彼女はただニッコリと笑って僕を見た。その目が「大丈夫よ、絶対に!」と語っていた。声帯は解放された。
僕は真正面を見て、ありのままお願いをした。それをグレンが英語で通訳の彼女に伝えた。警備員から拡声器を借りた彼女が、スペイン語で皆に伝えた。すべて語り終えてから、僕は深いお辞儀をした。
お辞儀の頭をゆっくり上げた後、皆を見回した。さきほどまでの驚いた表情は消えていたものの、了解してくれたのかどうかは見てとれない。何も言わず、パラパラと散っていった。警備の男性が通訳に歩みより、携帯無線機を手渡し、拡声器を引き取った。
「もうOKよ。さあ行きましょう」
まだ不安な顔をしていたせいだろう。彼女は僕の手の甲へ自分の手を掛け、耳元で言った。その柔らかい手のひらの感触で、緊張はすうーっと解けた。グレンと彼女にワゴン車へ押し込まれ、後は流れに従った。
僕が皆を説得している間に、カメラマンは工場を見下ろす手頃な丘をマークしていた。ワゴン車は、丘の頂上を目指して走った。舗装の道はすぐに切れ、土埃を立てて走った。その道も途中で切れ、残りは歩いて昇った。岩と石と乾いた土だけで、雑草すら生えていない。カメラマンは大きなカメラを右手に持ち、左肩にショルダーケースに入ったビデオデッキをかけたうえ三脚をかつぎ、先頭を切った。これだけ機材を担いでいるとは到底思えない。鼻歌を歌う余裕すらあった。小柄な通訳の彼女は子鹿のようにピョンピョン跳ねながら無線機片手に登っていった。さらにその後を、太りぎみのグレンがふうふう言いながら、モニターTVだけ持って追いかけた。僕は何も持っていないのに、石ころで何度も足首を捻りながらもようやく登った。
頂上に着いたカメラマンは作業にかかった。三脚を立てカメラを乗せ、レンズで工場を捉え、ズーミングやパンをチェックし始めた。
映像は、岩の上に置いたモニターTVで確認できた。
廃材を拾いながら袋に入れていく人。ホウキで路面を掃く人。窓のビニールを剥がす人。ドラム缶をゴロゴロと転がす人。ともかく一生懸命。感激だった。僕は、雲一つない空と強烈な真昼の太陽を仰いで深呼吸をした。
「でしょ!」
青空には祥子ちゃんの顔がニッコリ浮かんだ。
カメラマンの彼は妥協を一切許さない。何度も、レンズ越しにチェック。駄目な箇所を指摘し、それを通訳の彼女が無線を飛ばし、警備員が拡声器で指示を与えるという手順が繰り返された。
僕はちょうどいい高さの岩の上に座り、スペイン語による無線のやりとりに耳を傾けた。英語だと特有の緊迫感が出る無線のやりとりも、スペイン語だと実に優雅。相手から呼びかけられた時、通訳の彼女は必ず「スゥイー」と言ってから返答をした。「はい」という意味らしい。その「スゥイー」は尻上がりのアクセントで、若くてのびやか。なんとも心地良い。
(この声を録音し、満員電車の発車合図としてホームに流したら、東京も随分と和むだろうなあ・・・)
二十一世紀がずいぶん経った今でも、僕はそう思う。
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