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「がんばれ!だめお。国際ビジネス奔走記」  NPO法人 フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


 13

 同級生の妹は海外旅行を何度もしたことがあるようで、ターミナルビルの分かりやすいレストランで会うように手はずを整えてくれていた。

 僕は何時間も前に着いた。この時だけは、遅刻心配性ゆえではない。初めて祥子ちゃんとテーブルを共にする。その大切な時を、前後も含め、じっくりと噛み締めたかったからである。

 窓際に席を取った。そして、入り口が視界に入る側に座り、次々と大空に飛び立っていく旅客機を眺めた。昨日は信じることが難しかったこの現実が段々と信じられるようになり、気持ちは落ち着いてきた。だから、祥子ちゃんの姿をレストランの入り口に見た時も慌てふためくことなく、ゆっくりと立ち上がって手を振った。

 

 祥子ちゃんは一人で来た。同じ葛飾区内に住むお母さんへ子守りを頼んだのである。

 おおよそ話は伝わっているはずだが、改めて状況を話した。ドタバタしていることもハッキリ伝えた。書類もどっさり渡した。そして、とりあえず雑費込みで十万円、前払いすると伝えた。

「そんなに預かっていいんですか?!」

 彼女は驚いた。

「えっ?」

 僕も驚いた。前の会社で、翻訳通訳の派遣会社から送られて来る何百万単位の請求書に幾度も目にしてきた僕には、十万円が僅かな金に思えてならなかったからである。ましてや、これからさらにどれだけ資料を送り込むことになるのか予想もつかない。

「この額じゃ失礼なほどでしょう。本来ならばとても高いこと、ちゃんと知っているんですよ」

 そう言う僕に、彼女は説明した。

 たしかに現役の料金は高い。だが競争も激しい。若い人たちが次から次へ参入してくるので人手は足りている。だから、引退してしまうとすぐ業界から忘れ去られる。

「旦那が養ってくれる人は、おとなくしていて!」こんな声も頻繁に聞かれるという。別の業界でも同じフレーズを聞いたことがあるが、これは主婦に専念している人にとってはキツイ言葉だ。しかし、一人で生きていく女性にとっては切実な問題なのであろう。いずれにしても競争社会というわけである。

「安くて済みません」

 僕は完全企画社の封筒に入ったお金を祥子ちゃんへ差し出した。

「家事しかしていない毎日ですし、頂き過ぎなほどです」

 彼女はお金が入った封筒を両手で丁寧に受け取り、深々と頭を下げた。高校時代のキャピキャピした雰囲気はない。しっかりとした主婦である。

「それにしても、今回のお仕事、大変そうですね」

「ええ。でも、祥子さんが手伝ってくれるなら、がんばります!」

「もちろん精一杯お手伝いしますわ」

 幸い彼女の電話はFAX一体型だった。僕は、彼女の、いや、正確に言えば夫妻の電話番号と住所を教えてくれと頼んだ。

「はい」

 ゆっくりと応えた彼女は、手帳の住所欄に記入した。あの結婚式の時、彼女の記帳をのぞき見ただけでも舞い上がった僕。それが本人の同意を得てこの手に直接入手できるなんて、大感激だ。たとえご主人の姓であっても、これを支えに月の裏で百年は生きていけそうな気持ちになった。祥子ちゃんの字は、それほど、生命の躍動感溢れるイキイキとした字なのである。

(ようし! あとは、ロサンゼルスに戻るまでだ)

 やる気に満ちた僕は、彼女に別れを告げようと大きく深呼吸をした。

 すると、

「田中さんがお発ちになるの、もうしばらく後ですよね」と彼女が言った。

「私も何度かロサンゼルスに行ったことがあるので、知ってるんです。もし田中さんがご迷惑でなければ、もう少しお付き合いしますわ」

 彼女はテーブルに視線を落としながら言った。

「迷惑だなんて!」僕はつい大きな声を出した。

「どうせ母は今晩泊まっていくし、主人は遅くなると言ってたし・・・」

「いいんですか?」

「ええ。それより、書類、ざっとでも見てみましょうか?」

「あ、是非!」

 彼女は書類をめくり始めた。窓から入った午後の光が彼女の背後にあるガラスばりの柱で反射し始めた。光に包まれ作業する彼女の姿を見ながら、僕は生まれて初めて、永遠を感じた。

 

「これらの書類、脈絡のないバラバラのものだと思います」

 目を通し終えた祥子ちゃんは言った。たしかに、雑な手書きメモもあれば、タイプライターで打った物もある。書式は不統一だし、コピーを取り重ね文字がかすれて見づらい物もある。観光パンフレットらしきコピーも随分あった。

「ただ、気になるのは、この手書きのメモなんですけれど・・・」

 祥子ちゃんは一枚の紙を示した。ニックの手書きだろうか? 崩れた筆記体で、ほとんど殴り書きである。

「よく見てみてください」

 が、僕がよく見たのは、文字ではなく彼女の指だった。ほっそり、だが華奢ではなく、かえって力強い。マニュキュアはなく、透き通った爪の下のピンク色と白い半月が愛くるしかった。

「左側に会社の名前のようなもの、そして、その右側に電話番号のようなものが書いてある気がします」

 言われてみれば右側は数字だ。昨晩、完全企画社でコピーを取りながら全部の書類に触れていたわけだが、全然気づかなかった。

「ひょっとすると、これはニックさんが手配したイベント業者のリストかもしれませんね。ほら、見て下さい。音響会社みたいな名前も出ていますよ」

 彼女は「××Sound」とも読めなくはない部分を指さした。

 ありがたい。祥子ちゃんは単なる翻訳者ではないのだ。推理の作業もしてくれる。たとえ僅かでも他の人がそうした協力をしてくれれば、調べる事が山ほどある僕としてはどれだけ助かることか。

「他にはどんなことが読み取れますか? まったく、この筆記体、僕にはチンプンカンプンです」

「そうですよね。私もこんなに崩れた字は初めてです。でも、なんとか読み取ってみます。読み取って、タイプで一覧表を作りFAXしますわ」

 まだ自分の連絡先を教えていないことに気がついた僕は、リトルトーキョーの連絡先を伝えた。

「もし祥子さんが言う通りこれが手配中の業者リストだとしたら、ニックはちゃんと準備を進めていたということなのかなあ」

「う〜ん・・・」

 彼女は再び書類をパラパラめくった。その後しばらく考え込み、決意した眼差しで言った。

「田中さん。よろしければ、私、これらの会社に全部電話して、確認しましょうか?」

「えっ?! そこまでやって貰っていいんですか?」

「だって、お役に立つために手伝う以上は・・・」

「是非、お願いします!」

 僕は頭を下げた。このリストから少しでも準備状況が把握できれば、イベントムーブ社との交渉もスムーズとなろう。

(いつまでに?)と僕が思ったら、まるでテレパシーが通じたようにして彼女はきっぱり言った。

「今晩すぐにやりますわ。昼夜は逆でしょうし。とにかく、特にこのリストは早いほうがいいでしょ?」

 僕の目は潤んでしまった。彼女は気がついただろうか。それは判らない。でも、彼女が快く思っていることはハッキリと判った。「お役に立てて、嬉しいですわ」と口頭でも態度でも表したからである。

 が、「人間、暇な時、または金になる時、他人の役に立てることをやたら喜ぶもの」と言っていた大学時代の皮肉屋を、ふと思い出した。

(こんな素晴らしい時、奴のことを思い出すなんて!)

 僕はネガティブな考えを振り払うためにも仕事の話題から離れた。

 まるで、いつもおしゃべりをしている者どうしだった。彼女はテーブルに両肘をついて頬杖をし、ニッコリと話した。僕は、彼女の視線に耐えられず、目をそらしながら話した。

 以前の付き合いは一切ない。学年も異なったし、クラブが一緒だったわけでもない。だから、昔話は出ようがない。彼女はご主人の事や子育ての事などについて。僕は前の会社で体験した事について話した。

 出発案内が聞こえてきた時、片思いしていたことをよほど告白しようかと思った。だが、心臓の鼓動に遮られた。

<次の章へ続く> 

 
  書評 by 大森望氏(書評家・翻訳家) 

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2006年10月22日

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