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「がんばれ!だめお。国際ビジネス奔走記」  NPO法人 フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


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 社長プレゼンを終了するまでの四日間、僕は睡眠どころではなかった。日中はノーマンとそのアシスタントと一緒に会場の現場チェック。もちろん、メキシコ工場とカルフォルニア工場の両方だ。夜はイベントムーブのオフィスで準備アイテムの細目リスト作成。深夜から朝にかけては日本との連絡や実施手順書の作成。

 睡眠を取らないといずれ死んでしまう。それは僕でも知っていた。実際に大学時代、三日間一睡もせずにいたら死んでしまった先輩を知っている。突然、黄疸が出て病院に運ばれ、取り返すべく幾晩か眠ったが死んでしまった。

「失敗した・・・」

 これが死ぬ直前にふと目を覚ました彼の最後の一言だった。

 だが、メキシコ工場で秘書室長に怒鳴りまくられた印象がやたら強烈で、それが今度のプレゼンは絶対失敗できないという緊張感を作り上げていた。

 僕は食事をすると眠たくなる傾向が人一倍強いので、二日目から食事も一切止めた。もっとも食欲自体、全く沸かない。十代終わりから付着し始めていたお腹周りの脂肪は、一気に減った。もしかすると、いや、間違いなく、この脂肪に蓄えられたエネルギーが命を救ってくれたのだと思う。この体験以後、ミロのビーナスのぽっちゃりしたおへそ周りがやたら可愛く見えるようになった。

 頭はボーッとしているのを通り越し、完全にハイになった。肉体が全く別物のように思え、感覚がマヒした。体は重たいどころか、羽のよう軽くなった。ホテルの部屋で計画書をワープロしていても、宇宙人に遠隔操作されているような感覚である。この先いつ天寿が訪れるのかは不明なのでそれは別にして、今のところこれが生涯最も命の危険にさらされた時、僕はそう確信する。

 

 イベントムーブの精力的な支援で、社長プレゼン前々日の夜には必要アイテムの細目リストができた。このリストを基に、プレゼン前日には各業者を集め、個別見積りのためのミーティングを行なった。

 結局、祥子ちゃんが国際電話で調べてくれたにもかかわらず、ニックのメモに記載されていた業者は、一社たりとも正式な発注を受けていなかった。が、偶然、照明機材の業者は、イベントムーブと普段から仕事している会社だった。失踪前にニックがコンタクトを取った業者の中からはこの会社だけとし、後はイベントムーブが日頃からチームを組んでいる業者へ発注することになった。

 工場の外見と客導線を飾るための大量の風船やリボン。社長や来賓が挨拶しバンドが演奏するステージ。照明に音響。レーザー光線や非発火性の低温度花火。大型ビデオプロジェクターにスクリーン。さらにメキシコでは、倉庫を使った立食会の全アイテム。テーブル。テーブルクロス。シャンパングラスにワイングラス。もちろんグラスに注ぐボトル群。オードブルはキャビアにサーモン、フォアグラのパテにローストビーフ等々。社長と常務の強い希望で、お寿司を含めた可能な限りの日本食。

 業者との打ち合わせを進めながら、リストには一点一点単価が記入された。単価には必要個数が乗じられ、夜には合計額が出た。

 あと、総予算を確定するのに足りないのは、税関処理をスムーズにするための工作資金、および、地元ゆかりの音楽家のギャラだ。

 ジェーンはどうにか当局へのコネを見つけたようだったが、まだ謝礼の額は掴めていなかった。いずれにしても工作資金の必要性やその予算科目は、クライアント側に伝えるわけにはいかない。こうした必要性を予想せずちゃんと準備をしておかなかった当方が悪いのだから、この経費は全体利益から捻出することに僕は決めた。

 地元ゆかりの音楽家については、メキシコ工場のほうは荒野を開拓して作られた工業団地のため、ゆかりも何もない。ついては、最も近隣の町となるティファナのショーレストランに出演するマリアッチバンドの中から捜すことになった。

 カルフォルニア工場があるフォンタナでは、サミー・ヘイガー(Sammy Hager)が地元出身ミュージシャンであることがわかった。ニックのメモにも記載されていたわけだが、僕は「Hager」とのスペルを「ハガー」と読み誤ってしまい、スーパーロックバンド「VAN HALEN」のボーカリストであることに気づかなかったのだ。いくら地元とはいえ彼が工場のオープニングイベントに来るとは思えない。もし来てくれるとしたって、すでにスケジュールは二年も三年も先まで一杯だろうし、ギャラは想像を絶するだろう。だから、フォンタナにこだわらず、カルフォルニア州が活動エリアで手頃な料金のミュージシャンのリストを音楽プロダクションに作ってもらうこととなった。

 ともかく伊野さんも言ったように、形だけでもイベントが行われれば充分だ。よほど下手くそでない限り、この際、ミュージシャンは適当でいい。リストを取り寄せたらそのまま候補として紹介し、社長に選んでもらうことにしよう。

 

 いよいよ社長プレゼンの日となった。

 僕はノーマンとそのアシスタントのみならず、ジェーンにも同行してくれるよう頼んだ。

「今回のイベントをディレクションする会社の代表者を、クライアントの社長に直接紹介しておきたいから・・・」とジェーンに理由を説明したが、本音は違った。ただでさえプレゼンに慣れていない上、メキシコでの大遅刻で萎縮し切っていた僕には、尾倉浜さんの金魚糞軍団よろしく、少しでも多くの人の支えが必要としたのである。要するに、ビビッていたのだ。

 ジェーンは快諾した。彼女としても、日本企業の顧客開拓を見据え、会っておいたほうが得策と考えたのであろう。

 社長プレゼンは午後一時からだった。今度は絶対遅刻できない。十二時にはフォンタナに到着すべくLAを出発したいとジェーンに伝えた。

「ただでさえ遅刻心配症なので・・・」

「いや、こういったビジネスではプレゼンテーションが極めて重要だから、神経を使うのは当然のことだわ」

 ジェーンは僕の肩に手を置いた。

 しかし、そのジェーンも、僕が社長に対してやった最敬礼にはさぞびっくりしたと思う。

「前回は、誠に申し訳ございませんでした!」

 社長が控える会議室に一歩入るなり、人間宣言をする前の天皇陛下にお辞儀する人たちが写ったドキュメントフィルムを何度か見たことがある僕はそれを真似し、両手をぴったりと体につけ、腰からポッキリと45度に身体を折り曲げ、脳天を社長へ向けて静止した。

 これは演技ではなかった。本当に申し訳ないと思ってやったお辞儀だった。が、頭を下げている間、むしろ緊張は和らいだ。メキシコで大遅刻をして以降、毎日罪悪感にさいなまされ、早く謝罪をしたいと思っていたからである。

 何秒後だろう。「まあ、まあ。もう結構ですよ」と社長が声を掛けてくれた。僕は本当に許してもらえたのかよく判らず、恐る恐る頭を上げた。社長の顔が見えた。六十歳ぐらいの人だった。

「ともかく社長はカンカンだぞ!」という秘書室長の情報は本当だったのだろうか。社長の顔には怒りの感情は見て取れない。脇でしおらしくしている秘書室長も打って変わって笑顔だった。

 名刺を持っていない僕は、交換の儀式に踏み込まないようにするため社長の方へは近寄らず、そのまま会議テーブルを挟んで社長とは反対側に行ってしまった。ジェーンは社長と握手をしようと思っていたのだろう。めんくらった様子で後を着いてきた。そして、テーブルを挟んで自己紹介をした上でジェーンたちを紹介した。

 不眠によるふあーっとした感覚。そこに社長の優しいお許しの言葉。すっかり舌が滑らかとなった僕は一気にプレゼンをした。ノーマンたちが作ってくれた分厚い細目リストも渡し、予算についても説明した。英文和訳が間に合わずリストは英語のままだったが、準備が進んでいることを印象づけた。実施手順書は英語版・日本語版の両方を作成してあったので、さっそく社長は主要な事柄に関し段取りを確認した。

「なお、地元ゆかりの音楽家については、候補が絞り込まれていません。至急、リストを作りお届けします」

 そう言って僕は締めくくった。

「分かりました。引き続きよろしくお願いします」

 社長は丁寧に言い、僕に向かって深々と頭を下げた。意外だったので面食らったが、信じてもらえた証拠と思いホッとした。

 結局、僕と社長の二人だけのやりとり。ジェーンとノーマンたちはただそこに座っていただけ。明らかに気分を害していたが、それ以上のカルチャーショックがあったようだ。

「日本ではクライアントに対しては皆ああやってお辞儀をするの?」

 帰りの車に乗ってすぐ、ジェーンは並々ならぬ関心で質問してきた。日本企業から仕事をもらうためには、自分もこういうお辞儀を習得する必要があるのかと真剣に考えたらしい。だが、目眩にも近い眠気でまともな返事はできず、彼女が運転するジャガーの助手席にどっと身を沈めた。

 <次の章へ続く>

 
  書評 by 大森望氏(書評家・翻訳家) 

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2006年10月22日

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