時は近未来。場所は東京。深川に歩いていけなくもない地区。
主人公はプロレスラーも驚くほどの大男。しばらくサラリーマンだったものの、勤務先がことごとく倒産し、いつのまにやら中年フリーター。加齢もあってか、ものぐさ性癖が強まり、いよいよホームレスへのカウントダウンも始ろうかという時、突如、縁が薄かった義理の叔父の遺産が転がり込んだ。
とはいえ、桁外れの大金持ちが気まぐれで買った廃墟同然の寺。周囲の環境も劣悪で資産価値は低く、相続人を指名したことのみならず、寺を所有していたことすら早々に忘れ、叔父さんは他界した。
住職不在のまま現代に至った寺の本堂には、仏像が二体あるものの見るからに安物。売り払う先もない。期待できる収入は、初夏で勢いづく雑草にまみれた祠の賽銭箱のみである。だが、ホームレスになるよりまし、と考えた主人公は、寺の裏にへばりついた掘っ立て小屋に住むことにした。
地元に知り合いはいない。仏像を相手に、寺の暮らしが始まった。それでも大都会だ。いやおうなしに人間と遭遇する。
まずは運河で釣りをする定年退職者。釣りの仕方を教えてもらい、のんびり二人の時間が過ぎていく。が、或る日、賽銭泥棒との誤解がもとで乱闘事件を起こす。相手は近所の相撲部屋の少年。そして、乱闘をおさめた消防署の隊員。事件の処理を担当したベテラン刑事。怪我を治療してくれた病院の院長。少年をかばう相撲部屋の親方。親方を支えるしっかり者のお上さん。部屋も利用している銭湯の主人。銭湯が頼りの商店街の人たち・・・。
こうやって主人公とコミュニティとの接点が徐々に増えていく中、二つの謎が、なにげに始まる。
一つは、銭湯の煙突から昇る真っ黒な煙。自治体の環境パトロールが一層厳しくなる中、ちょっぴり怪しい。しかしそれはコミュニティに波紋を起こし、主人公を軸に結束させる結果となる出来事の序曲。
そして、もう一つは、観音が描かれた掛け軸。寺にあった茶箱を廃棄する際、ひょっこり出てきた。信仰に無縁の主人公はさておき、寺を訪れる人たちの心が、次々、囚われていく。
おりしも区議会を通過した推奨文化財制度。寺の所蔵物も対象となる。制度推進を担当する女性職員や、探偵に転じたベテラン刑事の調査により、観音図の由来は、戦後混乱期に起きた冤罪逃亡者の過去から解き明かされる。
では、銭湯の煙と観音図の関係は?・・・ 因果関係とはならないものの、今を生きる主人公のそれなりに前向きな生き方と、必死で逃げた冤罪者の足跡から、二つの謎の接点が徐々に浮上し、フィナーレへと向かう。
エンターテイメント第一義だが、生き残りをかけた地域社会と多様な人間関係を描く社会派小説とも言える。ありえなさそうで、ありそうなお話。
それにしてもコメディ小説がなぜ思考訓練学科の開講記念小説となり得るのか?・・・ それは読んでみてのお楽しみ!
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ちなみに、世評のほどは、、、
宝島社主催の第2回「このミステリーがすごい大賞」へ応募した際(当時題名「崩落寺。ものぐさ坊主奮闘記」)、「次回作に期待」として審査員で評論家の村上貴史氏より、次の評を頂く。
「廃屋同然の寺を相続した無職の四十男が、近所の人間との交流を深めながら、何となく寺を運営していく話である。この力の抜け具合が絶妙。無気力ではなく、ポジティブに行動する面もあるのだが、よい意味で実にアバウトなのだ。キャラクターの描き分けもそれなりにできている。そんな魅力がありながら1次通過を見送らざるを得なかったのは、ひとえにミステリ味の薄さが理由である。一応ちょっとした謎はあるが、それだけで全体を支えるほどのものではなかった。」(http://www.konomys.jp/nexthope_1.html のGoogleキャッシュより)
ちなみに、この評論を読んだ評論家の大森望氏が、パルコ出版「文学賞メッタ斬り」の中で唯一の匿名作者・匿名作品の形で余談として取り上げて下さり、それを縁に、同氏へ個人的に評価をお願いしたところ、「運がよければ何かの賞を受賞でき、運がよければ出版もされる」との評価を頂く。
これで気をよくして、日経の賞に応募してみたものの「運がよければ、、、」との前提条件を確保できなかったせいだろうか? はたまた審査員の中に村上貴史氏や大森望氏と同じ見解に至る先生がいなかったせいだろうか? 選外となる。
しかし、そもそも文学賞を受賞することは、その内容の如何にかかわらず、「干し草の山の中にある針を見つけ出すようなもの。はなから諦めてかかったほうがいい」と某文芸誌を出版していた編集者のアドバイスを受けていたこともあり、ストーリー内に、フリーWebカレッジ思考訓練学科の開講記念小説として転用できるエッセンスをいくつか仕込んでおいた。長編小説を書くのは大変な労力なので、こうした応用も計画しておかなければ、仕事の効率が著しく低くくなる。
もっとも、このエッセンスがあだとなったのだろうか? いや、ならばその点を村上貴史氏・大森望氏に突かれているはず・・・。著者にとっては永遠の謎である。
したがってこの謎は、ぜひ、読者の方々に解明して頂きたく、どうぞよろしくお願い致します。
2006年10月20日 蒔苗昌彦