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「寺と風呂屋と謎の観音」  フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


四、風呂屋の効能と黒い煙

 今日も晴天。退屈しのぎに草刈を開始した。とはいえ、計画的に行うつもりはない。場あたりだ。

 もっとも、伸び放題の雑草群は、草と思えぬほど背丈の高いものやら、絨毯を敷き詰めたように細かいものまである。剪定されていない樹木も含めると、まるでジャングルのミニチュア版である。たとえ計画力がある人間でも、尻込みするだろう。

(さあて、どこから始めるかな?)

 腕組みをして門の柱に寄りかかり、境内を見渡した。

(おっ、忘れちゃあいかん。重大な収入源、賽銭箱のまわりからだ!)

 ものぐさが染みついたとはいえ、判断力が衰えたというわけではない。だから優先順位をつけることはちゃんとできた。

「こんにちわぁ。管理人さん」

 草刈りを開始した高泉の背中に声が掛かった。

(管理人って、誰?)と一瞬思ったが、すぐ自分のことだと分かって振り向くと、昨日の釣り人が門の辺りに立っていた。

「早めに出てみることにしましてね。ほれ、とりあえず一揃い」

 釣り人はバッグを差し出した。

「いやあ、本当にいいんですかあ」

「邪魔だったので、捨てようかと思っていたほどで・・・。でも、それじゃ大型ゴミの収集券を買うことになるしね。だから、ほら。とてもボロいでしょう」

 たしかにボロだった。そのままゴミ置き場に直行しても不思議ではない。釣り人自身が右肩に掛けている新品のバックとは、大違いである。

「ほんじゃあ、遠慮なく」

「どうぞ、どうぞ」

「ありがとうございます」大男の高泉は、見下ろす形で礼をすることに後ろめたさを感じてか、猫背になった上、首を亀のようにすくめて言った。

「しかし、あなた、体格、いいねえ」

 釣り人はまじまじと見上げた。

「若い時、なにかの選手だったの?」

「いいえ。勧誘は色々あったけど、練習が面倒くさいから、どれも断ってしまいましたよ。趣味で、沢登りには金を使いましたけど」

「沢登りねえ・・・ それでがっちりしているのかね。横幅もしっかりしてるし、重心も低そうだし・・・。相撲とりにでもなってたら、良かったかもしれんねえ」

「さすが相撲に勧誘されたことはなかったなあー。なんか、詳しそうですね?」

「街に相撲部屋があってね。定年退職してから、時々、稽古をのぞきにいくので」

「面白いですか?」

「本物を目の前で見ると、すごい迫力でね。稽古とはいえ、面白いよ」

「じゃあ、横綱とか大関を見れるんですか?」

「いやいや、弱小の小部屋でね。序の口が多くて。一番上でも、幕下の中位かな」

「そんなんでも、面白いんですか?」

「面白い。テレビを観るより、ずっと面白い。あなたも観にいくかい? 近所だし」

「どの辺ですか?」

「ほら、銭湯があるでしょ。星乃湯。その前を、西のほうへ四、五分歩くと道沿いにあるよ」

「お、よかった。銭湯、近いんだ。遠いと面倒臭いからな」

「え? 銭湯、まだ知らなかったの? お宅の横の墓地の隣りじゃない。ほら、ここからも煙突が見える」

 釣り人は、左手をあげて指さした。その先には、たしかに『星乃湯』と縦書きした煙突が見える。なぜか真っ黒な煙があがっている。けっこう広い墓場越し。火葬場の煙突のようにも思えてしまう。もちろん高泉であっても、今どき火葬場の焼却炉が、黒煙を吐くほど低機能であるわけないことは知っていた。が、構図としてそんな感じがしてしまう。

 もっとも、銭湯だって今どき黒煙を出すはずがない。環境意識はかなり浸透し、自治体のパトロールも強化されている。見る人が見れば、通報もしよう。

「あの銭湯、いくらで入れるんでしょうかねえ?」

「うちは風呂があるのでなあ・・・ 今は四百円ぐらいするのじゃ?」

「ええっ! そんなに? まいったなあー」ボロいながらも一応は風呂がついていたアパートで暮らしてきた高泉は驚いた。

「いやいや、私も確信ないよ。自分で調べて下さい。でも、あの銭湯、鉱泉が混ざっているという噂だよ。膝と腰に効くとの評判もある。うちの上さんも一時、通ってた」

「こんな都会でも鉱泉が出るとはねえ?」

「ま、温泉は無理でも、冷たい鉱泉なら出ることもあるんじゃないかな? 大きな工場は立たなかったから、地下水が枯れることもなかったし」

「そうですか・・・ あ、いや、待てよ。地下水と鉱泉はイコールではないのじゃ? えー、概念関係論でベン図を描いてみれば、両者は同一ではなく。交差する関係でもなく。うん。どうやら鉱泉は地下水に包括される従属概念だな」

 高泉はしゃがみこみ、赤茶の土がみえた場所に指で図式を書きながら言った。

「ふーむ、あなたの言う通りだな。工場と地下水と鉱泉の話は、関連性がないね」釣り人は分かりやすい図式を見て感心した。

「失礼だが、ただの管理人じゃないみたいだね。何かご専門があるのじゃ?」

「は? あ、この図式ね。大学が哲学科でして。その時、勉強したんですよ」

「へえー、哲学でも、こんな図式を扱うのかい? 宗教と同じように、精神性や倫理について論じるだけと思っていたよ」

「もちろん、そういう面もありますよ。これは哲学の中でも形式論理学というやつで、哲学のみならずあらゆる学問の基礎と言われている思考方法なんですよ。たとえば生物学を英語で言えばbiologyで、このlogyは論理学のlogicから来ているし、地質学のgeologyも同様」

「なんだかスゴいね。別の仕事を探したほうがいいんじゃないの。その形式論理学というのを活かして」

「いやあ、だめですよ。若い時は、哲学や論理学は経営に貢献すると信じて就職活動したけど。どこの採用担当者も無関心で・・・」

「それは残念だったねえ。ところで、あなた。いや、失礼。お名前をまだ聞いていなかったね。私は高橋だが、あなたは? よければ、今から一緒に釣りしない? 道具の使い方、教えてあげるよ」

「高泉といいます」

「こうせん? それじゃ風呂屋の鉱泉と同じじゃない。どういう字を書くの?」

「高い泉ですよ」

「珍しいねえ」

「まあ、寺の名前ほどじゃないすけどね」

「あはは、そうだね。でもお互い、『高い』がつくわけだ。奇遇だね!」

 高泉は草刈りをさっそく投げ出し、釣りの師匠、高橋さんと運河へ出向いた。

<次の章へ続く>

 
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2006年10月20日

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