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「寺と風呂屋と謎の観音」  フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


八、祠と風呂屋の相乗効果

「このたびは斉藤が大変ご迷惑をお掛けしまして」

 タクシーの音で親方が高泉を連れて帰宅したことを察知したお上さんはすかさず出迎え、両手と額をつけて詫びを入れた。

「斉藤に、わしらの部屋へ来るように言ってくれ」

「はい。台所で手伝いしているので、さっそく」そう言ってお上さんはすっくと立ち上がり去っていった。親方とどのぐらい年が離れているのか分からないが、和服が似合うお上さんのしなやかな立ち振る舞いは、高泉にとってなかなか目の保養となった。

 二階建ての一軒家。かなり古そうだが、相撲部屋にしているだけのことがあり大きい家である。ちょっとした旅館のようにも見える。

 家にあがった高泉は、親方とお上さんの居室へ通された。十二畳ほどの和室。曇りガラスの障子戸で、玄関からの大廊下に面していた。

「ほら、斉藤君。早く来なさい。恥ずかしがっている場合じゃないでしょ」

 お上さんが斉藤を呼び入れた。実際には怖がっていたのだが、無表情なため、恥ずかしがっているように見えたのだ。が、日中、大量の鼻血を出した人間という様子はなかった。脱脂綿を詰めているわけでもない。

「いや、悪かったね、さっきは」

 高泉は斉藤少年の小心を察し、自分のほうから声をかけた。

「ほらほら斉藤君。お詫びを」お上さんが催促した。

「ははは。もういいんですよ・・・」

 しかし、お上さんは相当きっちりしているらしい。苛立った様子で斉藤少年の腕をつかみ、座らせた。相撲部屋を切り盛りするお上さんならではか。おかげで保養効果は薄れてしまったが、尊敬の念が沸いてきた。

「すみません・・・」蚊の鳴くような声を出しながら、斉藤少年は、お上さんに強く背中を押されてペコリと頭をさげた。

「いや、こっちもね」と言った高泉は少し気詰まりになったが、ちょうどいい質問を思いついた。

「で、斉藤君。あの時、何、お祈りしてたの?」

「ひざ・・・」斉藤少年は引き続き蚊の鳴き声だった。

「ひざ?」

「ああ、祠のご利益だな・・・。斉藤は、先月痛めた膝の直りが今ひとつでしてね。祠のご利益が膝と腰だから、この部屋でも昔から祈りに行く若者が絶えないのですよ」と親方が説明した。

「なんでも、祠で祈った後に、星乃湯で暖まると治りが早いそうな。相乗効果ですかねえ」大きなちゃぶ台に置いたお盆の上で、茶を注ぎながらお上さんは言った。

「ふーん。そう言えば、釣りの高橋さんも銭湯の効能、言っていたなあ」

「釣りの高橋さん? あの感じのいい高橋さんだろうか?」親方は知っているようだ。

「ええ、とってもいい人ですよ。会って二日もしないのに、私にお古の釣具をくれ、技まで仕込んでくれました」

「ほう、ならばやはり、あの高橋さんだ。斉藤も高橋さんから釣具をもらったんじゃなかったのか?」

「うん」斉藤少年は言った。

「『うん』じゃなくて『はい』でしょう」お上さんが指導した。

「世間は狭いというか、この界隈が狭いというか・・・。高泉さん、明日の朝も会えるかもしません。ここのところ、朝稽古、よく観にきてますから」

「あの高橋さんなら、先月、とっても大きなマーガリンを五箱も下さいましたよ。お勤めしていたのが油脂の食品会社だそうで。あなたからもお礼言って下さいな」お上さんの指導は、親方にまで行き届いていた。

「はいはい。ま、とりあえず後援会にでもお誘いしてみるか。ところで、おまえ。あの個室、高泉さんに・・・」

「もちろんです。お怪我が治るまでの短い間ですが、高泉さん、ゆっくりして下さいな」お上さんは親方から奪い取るように言った。高泉はそのお上さんの気迫に押されて滞在を最終承諾した。親方は苦笑いした。

「ところで、おまえ。高泉さんに誰をお付けしようかね」

「お詫びの意味でも、斉藤君にしたらどうですか?」

「うーむ。だが、斉藤で勤まるかな? もう少し気がきく奴がいいんじゃなかろうか」

「あら、斉藤君だってもうできますよ。今度こそ序の口になれそうですから、大人扱いしなければ・・・」

「えー、序の口って、つまり一番の初歩という意味じゃなかったでしたっけ?」

「序の口になるにも実力試験がありましてね。斉藤はまだパスしていないんですよ」

「へえー、厳しい世界なんですねえ」高泉は感心した。

「斉藤君、やってちょうだい。家事のお手伝いは人一倍まめなのだから、ネ?」

「家事手伝いに斉藤を入門させたわけじゃないが。ま、いずれ関取が生まれることを前提に、付き人の養成でもするか・・・。じゃ、斉藤。高泉さんのお世話を頼んだぞ」

「は、はい」斉藤は引き続き蚊の鳴き声だった。

「やって欲しいこと、かまわず言いつけて下さい。が、まずは星乃湯で一風呂あびてきたらいかがでしょう。あそこの湯は鉱泉を使っていて養生になることですし・・・。斉藤、ご案内しなさい」

 当然、部屋には風呂があった。しかし、地元後援会のメンバーでもある銭湯星乃湯は、どうやら商売上手らしい。自ら主催しているお風呂クラブの団体会員として坂上部屋を取り込み、稽古の後に砂を落とすのとはまた別に、利用してもらっているようだ。

「おっ、いらっしゃい」

 斉藤少年が玄関から入ってくる姿を観て、星乃湯の主人は自称フロントカウンターから座ったまま声を掛けた。

 その昔、銭湯には番台があり、高い位置から男女両方の更衣室と浴場を監視していた。しかし、時代の趨勢に押されてこの方式は減少していき、星乃湯でも入場者を玄関で迎える。ただし、星乃湯の建物は昔のまま。無理やり改造しカウンターを設置したので、玄関の内装は新旧和洋が混ぜこぜとなっていた。

「斉藤君、そちらのお客さんは?」

 星乃湯の主人は遠慮なく訊いた。が、斉藤少年は蚊の鳴き声。その様子を引き取って、高泉は自己紹介した。

「崩落寺の管理人ですよ」

「えっ! 斉藤君をナイフで襲った人 ?」主人はぎょっとした。坂上親方が奔走しニュースに流される事態は食い止めたものの、噂は近所にしっかり広まっていたのである。

「それは誤解ですよ。でなきゃ、斉藤君とわたしが一緒に風呂入りに来るわけないでしょ」高泉は半分投げやりに言った。斉藤少年もこっくりうなずいた。

「ふーむ。言われてみればもっともだ。加害者と被害者が事件直後、仲良く風呂に入るなんてことはありえんからなあ。いや、失礼。街の人たちに伝えておきますよ」

 銭湯は、コミュニティにおける情報流通機能を持ち得る。こうした行為は、一つ間違えるとおせっかいだ。が、計算高そうなわりには、この主人、そこそこ節度もありそうだ。今日の事件に関する誤情報を打ち消す役割、どうにか果たしてくれるだろう。

「それにしても、管理人さん。あんたのほうが大怪我したみたいだねえ」三角巾で肩から吊り下げられた高泉の腕を見ながら、主人は言った。

「そう。だから、こうして斉藤君にアテンドしてもらっているわけ」

「うちの湯は色々と効能があるから、治りが早いよ。ゆっくりしていってね」

「色々? 部屋のお上さんからは膝と腰って聞いたけど」効能書きの掲示が見あたらないこともあり、高泉は確認をした。

「ま、特に効くのがその二箇所ということでね」主人は眼鏡の奥でにんまりした。

「うちの祠も膝と腰に効くとのことだけど」

「そうらしいねえ。業務提携でもするかね?」

「業務提携ねえ・・・ 何かいい提携の仕方でもあるかしら? ところで、うちもお宅みたく、膝と腰の他に色々とご利益あるのかなあ」

「色々かどうか知らんけど、意外や会社経営にも効くそうだよ」

「会社経営? ふーん・・・ ということは、お宅も祈りにくるの?」

「いや。うちは自営業だから。株式会社とかの、あくまで法人登記した会社の経営者を対象としたご利益だそうだよ」

「へえー、妙に厳密なご利益区分だなあ」

 疑わしい。だが、貴重な収入源と期待をかけている祠である。訪問者の種類は、少しでも多いほうがいい。高泉は情報提供に礼を言ってから斉藤少年を従え更衣室へ入った。

 更衣室も浴室も、たいそう広かった。養生を理由に相撲部屋を取り込めるだけのことはある。中央には、昔の建物ならではの大黒柱が立っていた。室温を下げずに湯気を散らすために天井もかなり高い。それを支える大黒柱だけに、奥深い森の巨木のようにそびえ立つ。銭湯の湯船も、富士山麓のペンキ絵を背景に広々としている。

 ころーん・・・ かろーん・・・

 手桶が床のタイルに当たる音が、木造の天井で柔らかくエコーし、高泉たちを包み込んだ。とりあえず怪我が治るまで、生活の心配がいらなくなった。自然と全身から緊張が抜け、極楽気分になった。

<次の章へ続く>

 
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2006年10月20日

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