十、コインランドリーは とならず
「業務提携の話、覚えてる?」
空梅雨となった六月は、真夏のように暑く、高泉は坂上部屋を出てからも毎日、星乃湯に通った。当面やることは草刈りだけ。ちょっと刈っては午後なかばには湯を浴びた。坂上部屋の若い衆は済み、近所のお年寄りが来る前の時間帯。人はまばらである。
「あ、なに?」フロントカウンターに猫背で座っていた星乃湯の主人は、眼鏡ごしにボンヤリしていた。
「ほらあ、初めてここに来た時、お宅とうちの提携の話が出たじゃない?」
「そんなこと話したっけ?・・・」主人の反応は冴えない。
「なんだ、覚えてないのかあ」
銭湯代は予想を下回っていた。が、毎日通ったため財政が圧迫され、高泉といえども商売の着想をせざるをえなかった。人間、追い詰められてこそ能力が開発される。
「それにしても、元気ないね。なんか心配事かい?」
「ん? まあ、経営上のね・・・」
「そうなの。じゃ、業務提携の件、なおさら相談に乗ってくれよ」
「具体的には?」
「それはこれからの相談だけど・・・ ほら、初めて会った時に話が出たように、お宅のお風呂の効能と、うちの祠のご利益が共通するじゃない。膝と腰でさあ」
「それを互いに活かす手立てを考えよう、というわけか。客を回し合うのだな」
「そうそう。なにしろ、祠に向き合うと墓場越しにお宅の煙突が見えるから」
「墓場越しにねえ・・・」主人は考え込んだ。
(しまった! 墓場越しはまずかったか。なにしろ、あの構図、焼き場の煙突だからな)
「いやっ、煙突には縦書きしたお宅の名前がよく見えるから、まさか焼き場だと思う人はいないさ」慌てた高泉は、懸念を露呈してしまった。主人は眼鏡の奥からぎょろりと高泉の目を観た。
「いやっ、それに今どき、焼き場から煙が出ると思う人なんかいないから、誤解は起きないさ」
「ふーむ・・・ かえっていいかもしれん」しばらく考え込んだ主人はニンマリとして身を乗り出した。
「よし。こうしよう。あんたの祠の脇に、うちの効能書きをした看板を立てる。『見よ! 墓場の先に星乃湯あり』とばかりにね。祠で祈ってから星乃湯に浸かれば効力があることを、看板を立ててアプローチするんだ」
「まあ、風呂で暖めれりゃ、何だって良くなるからな。逆に風呂の後にお参りしたら、季節によっちゃ、湯冷めしてかえって身体に悪いけど」
しかし、これだけでは自分のメリットがない。高泉は首をかしげた。
「引き換えに、入浴料、ただにしてやるよ。それでどうだい?」
「うーん、まあそれでいいかあ・・・」高泉は物足りなそうに言った。
「なんだ。不満かい?」
「加えて、コインランドリーもただっていうわけには?」
「ははん、大きく出たもんだな。コインランドリーは残念ながらダメだ。リース会社がカウンターを仕組んで、歩合を回収していく仕組みになっているんでな」
「ふーん、がっちりできてやがるんだなあ」
「ま、その代わり、風呂は毎日何回入ってもただにしてやるさ」
「ならいいか。ありがとさん。ところで、看板って、誰が作るの。自分で?」
「まさか。うちに出入りしている内装会社に簡単なのを作ってもらうさ」
たしかに、星乃湯には、商店の広告板やペンキで描かれた富士山の書割などがあった。
「簡単なのでもいいけれど、寺の風情に合うようなデザインにしてもらえないかね。捨て看板みたいなの立てられたんじゃ、かなわないからな」
「分かっているよ。ステカンじゃ、うちにとっても意味ないしね」主人はそのへん了解していた。
「ただし・・・」主人は急に語気を強めた。
「看板の文面は、お宅の祠と、隣りの墓場と、うちの風呂に、因果関係があるようにさせてもらうよ」
「えっ! 隣りの墓場まで?」
「ああ」
「なんでだよ。それじゃ不気味じゃないか。墓場を運営している寺とも付き合っているんかい?」
「まさか。離れ墓所で管理が面倒だとばかり、化けもんが出そうなほど荒れ放題にしよって!」
「ならば、いっそう不気味じゃない。看板から外そうよ」
「いや、いいんだ。この際、その無気味さも利用するのさ」主人は薄ら笑いを浮かべた。
どんな利用なのか高泉には見当がつかなかったが、どのみち隣りに墓所がある現実は変えようがない。諦めた高泉は業務提携を承服し、あとはただとなった湯を満喫した。
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それにしても徹底したカラ梅雨だった。夏至も近づき、陽がやたらと長い。のんびり星乃湯で過ごし崩落寺へ帰っても、暗くなるまで時間がある。
高泉は、暇つぶしに裏小屋の片付けを始めた。坂上部屋が持たせてくれた一升瓶。キャンプ用のアルミコップに注ぎ、ちびちび飲みながらの作業であった。
(もう一杯やるかな? いや。やっぱりやめておこう。明日のためにな・・・)
入浴の権利を確保したものの、自力で酒が買えるほど財力が上がったわけではない。だから酒は節約した。
が、ちびちびやった酒はかえって食欲をそそる。洗い場へ行き、固形燃料と飯ごうでインスタントラーメンを作った。四杯も食べてしまった。
(くわあー 食い過ぎたあ〜)
少し汁が残った飯ごうをそのままに、裏小屋へ戻り寝転がった。
窓からは薄明かりがさしていた。低い天井が目に映った。手のひらほどの幅の板が渡してある。簡単に外れそうだ。
腹ごなしに天井裏をのぞいてみることにした高泉は、立ち上がり、手を突き上げた。予想通り、板は外れた。が、天井裏をのぞきこむには、なにか台が必要である。
(そういえば、本堂にでっかい空箱があったな・・・)
高泉は本堂へ行き、仏壇の脇に置いてあった空箱を持ち込んだ。
それは、二十一世紀が先へ先へと進む中、滅多に見かけなくなってしまった茶箱であった。二十世紀後半の初期までは、衣類の収納等に流用されもしていたが、プラスチック製の収納箱が大量販売され続けた結果、日本茶販売の演出用に使われるのがせいぜいとなっていた。そのあたりは世事に疎い高泉でも了解していた。
念のため、もう一度中を覗いてみたが、やはり空だった。蓋を戻した。
「よいしょ!」
茶箱に乗り、板を何枚か横にずらし、天井裏をのぞいた。壁の隙間から漏れてくる明かりで、ぼんやりとしていた。何もなかった。
(こんな薄っぺらい天井の上に物を隠す奴もいないというわけだ。ま、当然のことか・・・)
高泉は両足を乗せていた空箱から、片足を床につこうとした。が、食い過ぎたインスタントラーメンが胃の中でちゃぽちゃぽし、そのせいでバランスを崩した。
「おっとう!」
バランスを戻そうした高泉。空箱の上に残っている片足へグッと力を入れた。
ずぼっ!
相撲部屋のご馳走で重量オーバー。茶箱の蓋が壊れてしまった。
「痛つつ!」
くるぶしに激痛が走った。
「このやろう!」
右足を床に。左足を茶箱の底に。その状態のまま、高泉はどなった。くるぶしの痛みはズキンズキンと脈を打ち出した。
「血でも出たかな、くそおっ!」
なにしろ裸足だ。蓋に開いた穴から手をねじ込み、くるぶしに触れた。が、手は血で濡れなかった。ひと安心した高泉は、痛みが収まるまでしばらくさすった。痛みが治まった。茶箱に突っ込んだ左足とねじ込んだ左手を抜こうとした。しかし、蓋の板が下向きにささくれていた。無理に抜けばぐっさりやってしまうかもしれないと考え、左手足を茶箱に入れたまま腰を持ち上げた。
バキリ!
左足がさらに茶箱の底を突きぬいた。が、今度は、高低差が少なかったため、痛い思いはしなかった。
「なんだ。底まで抜けちまいやがった。それにしても、上げ底だな・・・」
ぶつくさ言いながら、壊れた箇所の板きれを慎重に取り除いていった。
ようやく解放された。全身汗びっしょり。茶箱はそのままにして、高泉は星乃湯へ出かけた。
「おっ、さっそくまたお越しかい?」主人はからかうように言った。
「え? いいんだろ、一日何回入っても?」
「いいよ。武士に二言はないさ。で、祠の脇に立てる看板。さっそく内装会社と打ち合わせしておいたよ。明日にでも田中工務店の加藤君という担当者が行くから、よろしくね」
どんな商売でも厳しい時代。たとえ銭湯の経営者であっても、やると決めた以上は迅速に事を進める行動力が必要である。
さすがに夜は賑わっていた。浴場に備え付けのプラスチック桶では風情がないと考えたのだろう。木桶を持参している客もいる。懐かしい気分になった。木桶と言えば、さっき壊れた箱も木である。
「どこに捨てようかなあ。大型ゴミで出すとゴミ収集券を買わなきゃならんし・・・」
高泉はぼやきながら脱衣所を出た。
「なんだ。二度も入れてやったのに、不満なのかい?」フロントカウンターの主人は高泉の様子を気にとめた。
「ん? ああ、ありがとう」
「あんまり嬉しそうな顔には見えんぞ」
「いやなに、湯には関係ないことだ。ただ、箱の捨て場に困ってね。そのこと考えていただけだよ。気にしないでくれ」
「箱? 何の箱だい?」主人は関心を寄せた。
「ただの木の箱さ。踏み台にしたら、壊れてしまってな」
「木? そう。木ならば、看板立てにいく加藤君へ渡しておいてくれ。うちで処分してやるよ。なに、私から言われたと伝えれば、すぐ分かるはずから」
内装会社が引き取った箱を、なぜ星乃湯が処分するのか分らなかった。が、粗大ゴミ券を買わなくて済むからラッキー。高泉は礼を言った。
「そのかわり、その箱、バラしておいてくれよ!」
玄関を出て右のコインランドリーへ向かう高泉へ、星乃湯の主人は加えつけた。
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