十三、味噌屋とキャンプファイアー
「もし。もし・・・」
風があまりにも気持ちよく夕刻近くまでうとうとしていた高泉が、声がけを耳にして身体を起こすと、踊り場にお婆さんが立っていた。おそらく近所から来たのであろう。割烹着に手ぶらだ。
「管理人さんかい?」
「ええ、そうですよ」草刈りを重ねていくうちついに管理人意識が完全に定着した。だから、すんなりと答えた。
「お尋ねしたいことがあるんじゃが・・・」
「なんでしょうか?」まだ頭がぼんやりしている高泉はあぐら姿のまま応対した。
「イチョウに吊るした白い袋、知らんかね」
「ああ、あれ・・・ あなたが吊るしたんですか?」
「そうじゃよ。ならば、知っとるんけ?」
「いや、それがそのお、鳥と私が壊しちゃったのですよ。すみません」
冷徹に考えてみれば自分の敷地内でのこと。詫びる必要はない。しかし、なんだか悪い気がし、ヒヨドリのぶんまで詫びてしまった。
「あらまあ!」お婆さんは軽く驚いた。
「じゃ、お米は?」
「それがそのお、鳥が少し食べてしまいましたが、残り、私のほうで保管してあります」
高泉は自分が今晩食べようと思っていたことを、ヒヨドリにかこつけて隠そうとした。
「それはそれは。ありがとう。では、返して頂くかね」
「はあ、結構ですが、そのお・・・」
「おや、何か?」
「実は残り、飯ごうに入れてしまったのですよ」オープンな感じのお婆さんに、高泉はたまらず白状してしまった。
「あら、そう。ふえっ、ふえっ。最初からそう言ってくだしゃればいいのに。そならば、どうぞ召しあがれ」彼女は笑いながら帰ろうとした。
「あの、すみません。教えて下さい!」高泉は立ち上がって呼び止めた。
「あ、そうじゃったね。なぜあれを吊るしたか、説明し忘れたね」背筋がしゃっきっとしているお婆さん。頭もしゃっきとしているようで察しがよかった。
「管理人さんだから話すがね。これには云われがあってな・・・」お婆さんは説明を始めた。
古木のイチョウには、下向きに垂れた乳房のように見えるコブがある。米を詰めた白い布袋は、女性の乳房と乳首を模したもの。もしお乳の出が悪くなったり、何かしらお乳の病気にかかった際、米を入れた袋を枝に吊るした上でお祈りし、一晩あけてから持ち帰り粥にして食べると、具合がよくなるとのことである。
さらに加えて彼女は声をひそめた。
「ただしな、その場でお乳の悪い所をさすらないと、効果がないとされるんじゃ」
この追加説明を聞いた高泉は、つい具体的な想像をし顔を赤らめた。
「あらま、ふえっ、ふえっ。大丈夫じゃよ、管理人さん。今のわたしゃあ、胸をさすったりしないから。ただな、若い頃な、しこりができてな。不安になって、すがったのじゃ。結局、悪い病気になりはせんかったが、たいそう心が救われて。それ以来、時おりこの儀式でお粥を頂くんじゃよ。今となっては乙女の頃を懐かしむ意味でもな」
「いやあ、そうとは知らず食べてしまうところでした。今、お返ししますね」
「いいんじゃ、いいんじゃ。遠慮なく召し上がって下さいな。吊ったお米を、お寺の人が食べて下さると、自分で食べてしまうよりもっとご利益があるとされるのじゃ」
「でも、その寺の人というのは、僧侶を指すのでは?」
「本来はそうじゃったかも・・・ でも、このお寺は坊様がおらんまま続いてきたから」
「そうですかあ。ちなみに、いつから僧侶不在なんでしょうか?」
「よくはわからんねえ。江戸時代末期に焼けたらしく、それ以前は住職がいたとも言われてとるが・・・」
これを聞いた高泉は「火炎大神が本堂を焼き払った」という西山隊員の話を思い出した。しかし、西山隊員は大正時代と言っていたことも思い出した。
「それは建て直しのことじゃろう。焼けたのは、江戸時代じゃ」
西山隊員とお婆さんの情報の相違。だが、きっぱり言った彼女のほうが信憑性があると思えた。いずれにしても色々と知っているらしい。急いでいるといった様子はなさそうなので、続けて質問した。
「ところで、この仏像。えー、つまり正面に座っているほうですがね。これ、特定のテーマとか、ご利益とかあるんでしょうか?」
「あらま、ご本尊についても、知らんのかね!」
「ええ、ともかく引継ぎが悪くて・・・」
「こちらのご本尊は、迷子が出た時すがるといい、との言い伝えじゃよ」
「とすると、現代じゃ、ニーズは少ないということかあ」
「そうじゃなあ。昔ほど迷子は出ないからのう」
「法律や警察が進歩しましたからね。色々と教えて頂きありがとうございました」高泉はようやく礼を言った。
「どういたしまして。お役に立てれば功徳も増そうで。今はあたたかい時季じゃて、ちょくちょく来るから。いつでも召し上がれ」にこりとしてみせた彼女は去ろうとした。
「あ、もし良ければ・・・」高泉は引き止めた。
「良ければなんじゃ?」
「良ければお米、一緒に食べませんか?」
「ふむ。なんぱかいな」お婆さんはからかった。
「あはは。えー、そうではなく、もっと教えてもらえれば助かるので・・・」
「ふむ。じゃが、ここで煮炊きできるのかい? ガスも通ってないんじゃろ。といって、あんたみたいな大男にうちへ来られても狭くてかなわんしな」
「ガスがなくても、固形燃料に飯ごうで煮炊きができますよ」
「なんじゃ固形燃料って。練炭のことかい?」
「え? なんですか?」
「練炭を知らんのかい? あんたぐらいの年代なら知ってると思ったが。まあ、そうかもしれんな。手に入る店も減ったし。下手に室内で使うと一酸化中毒になるし・・・。じゃが、家の外でゆっくりやるなら、案外いいもんじゃ」
「固形燃料もなかなか便利ですよ。お米を炊くには時間がかかりますけどね」
「練炭は、そりゃあガスの勢いには負けるが、底力はあるぞえ。長持ちもするし」
「そうですか。なら、そのうち切り替えてみるかなあ」
「うちに練炭と七輪が余っているから、試しに使ってみんしゃい」
「いやあ、わざわざ取りに行ってもらうのは悪いですよ」高泉は心底すまない気がしたものの、自分が取りに行けばいいことまでは思いつかなかった。
「なあに、隣りに姪の息子が住んでいるから、あの子に運ばせる。就職せずに家で暇こいてるから、なるべく使ったほうがええんでな」
「そうですかあ。じゃ、お言葉に甘えて」
「それに、まだ晩御飯には早いしな。暗くなるころ戻ってくるから」
「すみませんねえ。じゃあ、そのころ待ってますね」
「ああ、待っててくれ。ついでに、わたしが若い時の写真も一枚、持ってくるけん」
「写真?」
「これは、なんぱじゃろ。せめて若い時の写真でも見せなくちゃ。ふえっ、ふえっ」
そういえば、笑い方が幽霊病院の院長と似ている。年代も近い感じだ。兄妹なのだろうか? どこかで会ったことがある気がしたのはそのせいかもしれない。あとで訊いてみよう。
いずれにしても米と知識の供給源が僅かながら確保できそうだ。が、喜びはいまひとつだった。なぜなら、祠の収入がパッとせず、本堂のほうにも賽銭箱を設置しようと思い始めていたところに、仏像のご利益は迷子探しと分かったからだ。それでは需要が低い。
(何か新たにご利益をクリエートするか・・・)
そう決め込んでから、高泉は晩餐会の準備に入った。
産業用ディーゼル車両が排出する粉塵の害をメディアにアプローチするため、煤が入ったペットボトルを手に記者会見をした知事がいたものだが、崩落寺においてもこのパフォーマンスはピンとくる。ともかく門前の交通量は膨大だ。
しかし、これはあくまで日中の話。産業車両がぴたりと止んだ夜の崩落寺ではピンとこない。東京の中心部に近いながらも東京から取り残され、繁華街の明かりとも無縁だし、夜空には星がたくさん見えた。
草刈りのとき拾い集めた枯枝を使い、洗い場の前で高泉はささやかな焚き火をした。寒いからではない。暗いからである。北側の公園の水銀灯だけでも自分一人ならば充分だが、なんぱされたと主張するお婆さんをご招待しての晩餐会だ。焚き火の明かりぐらいは加えておくべきだろう。
「ほれ、こいつがなんぱしよったのじゃ。なかなかいい男じゃろ。ふえっ、ふえっ」
お婆さんは、七輪の運び屋となった姪の息子なる少年を、高泉と二人まとめてからかった。おそらく中学校を出たばかりなのだろう。だが、坂上部屋の斉藤少年に輪をかけたように内気で、もじもじする様子は小学校を出たばかりと言ってもいいほどだ。七輪を置くと何も言わずに帰っていった。
「挨拶さえできれば、店番のバイトをやらせるんじゃがな」お婆さんはつぶやいた。
「何か、お店をやってるんですか?」
「ああ、小さな味噌屋をな」
商店街のそばで小さな味噌屋を営んでいるとのことであった。すでに高泉は銭湯のついでに商店街を徘徊したが、お婆さんは一本裏の小道に面する長屋に店を出しているため、存在に気づかなかった。
「でも、さっきも今も、店番は?」
「ああ、姪がやってくれているよ。まあ、共同経営者といったところじゃ」
「そうですかあ。ならば、イチョウの木だけじゃなく、あの祠にも寄って下さいよ」
「なんじゃ。あの小さな祠か?」
「ええ。星乃湯の主人が、膝と腰の他にも、商売繁盛のご利益があると言っていて・・・」
「ああ、そのことかえ。それは、同じ商売でも、有限会社やら株式会社の商売じゃろ」
「あ、そうでしたね。思い出しました。星乃湯のご主人もそう言ってました。それにしても、なかなかのビジネスマンですね。知ってますか?」
「もちろん、知っとるよ。長屋に風呂がないからね」
「でもお婆さんとは、まだ玄関で出会ったこと、ありせんよね」
「そうじゃな。あんたみたいな無精ひげの大男なら、出会ったなら覚えているはず。じゃが、通り魔事件のことは、しっかり聞いたわなさ。ふえっ、ふえっ」
「え? 参ったなあ。でも、誤解だって、ちゃんと説明してくれていたでしょう?」
「まあな。ふえっ、ふえっ」
「そういえば、星乃湯、あそこに看板立てたんですよ」
「看板? いったい何の看板じゃ?」
お婆さんは高泉のアテンドで、門前の歩道にある街路灯から寄せられる光を頼りに、看板へ近づいた。
「なんじゃあ、このうたい文句は? この祠はまだしも、どうして隣の墓地まで関係させるんじゃあ?」
「荒れ放題で管理がずさんと非難してたのに、『利用してやる』と言って、にんまりしてましたよ」
「ほう。いったい、どう利用するんじゃろうか?・・・ まあ、経営には誰もが苦労してるけん、なにか良いアイデアでも思いついたんじゃろうなあ」
期待通り、味噌屋のお婆さんは知識の宝庫だった。崩落寺の名の由来。火炎大神の云われ。小さな祠。が、それ以上に、界隈の発展と衰退の経緯を聞くことができた。
「今度、寄ってみますよ」
「ああ、いつでもきんしゃい」
最後にお店の位置を確認した高泉は、門前で丁重に見送った。夜道だが歩道には街路灯が短い間隔で立っている。この点は、都会ならではの利便性と言える。それこそ通り魔でも出ない限り、安心だ。バッグを持っていない彼女がひったくりに合うこともなかろう。痴漢が関心を持つこともあるまい。長屋までアテンドしなくてもいい理由を複数みつけて、高泉は怠慢をこいた。
七輪をお婆さん特製の蓋と栓で塞げば酸欠状態で練炭の火は消え、また少しは使える。そう伝授された。が、まだ腹は満ち足りない。
儀式なのだから自分は少しでいいと、お婆さんはほとんど食べなかった。本当は、不潔に思えて食欲が出なかったのかもしれない。しかし、高泉はそこまで気が回らず、彼女が持ってきてくれた試食用味噌づけをおかずにたいらげた。が、しょせんお粥。消化がよすぎて物足りない。
(残った味噌で、ちびりとやるか・・・)
部屋を出た時に持たせてくれた酒はとうに空っぽだったが、きのう斉藤少年が届けてくれた濁り酒がたんまりある。
味噌づけは、粥だけでなく、濁り酒にもよく合った。味噌だけでは商売にならない、と本腰を入れただけのことはある。ちびりちびりやりながらだと、ありがたさは一層身にしみた。お婆さんは、もともとの味噌の段階から無添加と言っていた。営業戦略上、そうした点もアプローチしているようである。
「味噌が健康食品とはねえ・・・」
ほとんど消えた焚き火と、しっかり火力を残す七輪の前で、高泉は一人つぶやいた。
(おっ、健康と言えば・・・)
高泉は幽霊病院の院長のことを想い出した。お婆さんと兄妹の関係にあるのかどうか、訊くのを忘れてしまったのである。
(ま、訊かなくとも、見るからにそうした関係だな・・・)
酔いが回り始めた高泉は、勝手に決め込んだ。
味噌漬けのマメなすび。最後の一個がなくなり、タッパウエアには味噌だけ残った。
(そういえば、洗い場の陰に、きのこが生えていたな・・・)
夕方、飯ごうで白米を洗う際に見かけた植物を思い出し、闇に目をこらした。
「ありやがった! ありやがった!」
お婆さんには切り株をイス代わりに座ってもらい、自分は地面にあぐらをかいた高泉。見送り戻った後も、再び地面にあぐらをかいていた。だから、そのまま身体を洗い場の側に傾け、シンクの下に片手を伸ばすだけで、きのこを採取できた。
(なんのきのこか知らんが、火さえ通せば大丈夫だろう)
洗いもせずに七輪の上の網にポトリとのせた。意外にも香ばしい匂いが漂った。ちょっぴり味噌をつけた、濁り酒と併せて口にすると、絶妙だった。
もう一杯。もう一口。夜風と木の葉がさわさわと取り囲む中、孤り宴は続いた。
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