十四、問答は無用か有用か
ずしーん! ずしーん!
「こうせーん、こうせーん」
「うるせえなあ・・・ もう朝稽古か。俺はもっと寝てるよ」
ずしーん! ずしーん!
「高泉、高泉!」
「うるせえなあ。だいたい、親方だって俺を呼び捨てにする権限はないぜ」
ずしーん!
「寝ぼけるな高泉、ここは相撲部屋ではないぞおー」
「じゃあどこなんだよ」
「不浄の大地だあー!」
高泉が目をあけて周りを見ると、そこは東西南北まったく不明の荒野。何もない。土くれだけだ。太陽の光は見当たらず、空はどんよりと灰色一色で昼とも夜ともつかない。
ずしーん!
「気がついたかあ、高泉」超高層ビルなみの巨人が足を踏み鳴した。
「なんだ、火炎大神じゃないか。今日はずいぶんでかくなりやがったな。俺はまだ眠いんだ。用があるなら早く言え」
高泉は寝転がったまま仰ぎ見て催促をした。
「よっく聞けい、高泉!」
天地を揺るがす重低音で火炎大神はうなった。5・1chサラウンドも顔負けである。
「悔いよ、改めよ。神の国は近づいている」
「神の国? おいおい。それじゃ渋谷のハチ公前か銀座四丁目の交差点で、スピーカーを背負って暗い説教たれた、キリスト教のふりした新興宗教の言い分じゃないか」
「おお、間違ごうてしもうた。もう一度言おう」
ずしーん! 火炎大神は大地を改めて踏みつけた。
「悔いよ、改めよ。仏の国は近づいている」
「『神』を『仏』と言い換えただけだが、まあ、少しは様になってきやがったな」
「分かったかあ、高泉」
ずしーん!
「いや、待てよ。仏教には『悔いる』『改める』てな概念は本来ないんじゃ?・・・ 特に宗教はやってとらんが、そのぐらいの知識はあるんだぞ」
「うるさーい」
ずしーん!
「うぬから言われる筋合いではない。わしは仏を守る門番、ゲートキーパーだあー。うぬのような男には仏に近づく資格はなーい。悔いよ、改めよ。さもなくば、焼き払うぞおー!」
ぶおーっ!
火炎大神はどんよりとした空へ向かって火炎を吐きその威力を誇示した。
「おいおい。焼き払うだなんて、いきがるのはやめろよ。だいたい、衆生の誰しもを救うために仏は悟りを開いたと聴いたことがあるぞ。なのにゲートを設けるは変じゃないか」
寝ぼけていた高泉の頭は冴えはじめた。
「うるさーい。とにかくこの世の不浄は、わしが全て焼き払うのだあー」ぶおーっ!
「そうかい。なら、つべこべ言わずにさっさと焼き払っちまえばいいじゃないか。一気に殺菌されてそれこそ浄土が出現するぞ」
寝転がって応対してきた高泉は、得意のあぐらに姿を変えて言った。
「だがな、大神。よく考えてみろよ。全て焼き払ってしまったならば、『衆生を救う』という仏の役割がなくなってしまうじゃないか。あんたが仏の座を押しのけてこの世を支配する気なら分かるけどさ」
「無礼な! わしのような者が取って代われるわけがなかろうが!」ぶおーっ!
「そりゃそうだ。やたら火を吐くことがあんたの程度を証明してらあ」
「うるさーい! 仏を守るためには、このぐらいの火炎放射能力が必要なんだあ!」ぶおーっ!
「ということは、仏にとってよほど脅威になる相手でもいるのかい? 大悪魔とか大妖怪とか、さもなくば別次元の宇宙からの侵略者だとかよ。SF映画も真っ青だぜい」
「無礼もの! 仏は至上だ。それを超える存在があるわけない」
「ならば門番は不要じゃないか。もっとも、あんたの事情、味噌屋の婆さまから詳しく聞いた。だから仏の門番になりたい気持ちは分からなくもないがな・・・」
「うっ!」火炎大神は天を仰いだまま棒立ちになってしまった。
「そもそも、衆生を救うための悟りならば、仏のほうから出向いてくるべきじゃないか。ゲートを設けるなんぞ、とんでもないこった」
「うっ!」火炎大神は棒立ちのままだった。
「おい。どうなんだ。答えてみろよ」高泉は催促した。
「う、うるさーい! もはや問答無用。うぬを焼き払ってくれようぞ!」ぶおーっ!
「あちちち。本当に燃えてやがる。管理人が燃えってしまったら不便だろうが、この! あちちち、あちちち・・・」数秒もせず、高泉は一握りの灰と化してしまった。
(これじゃあ、焼き場の焼却炉も顔負けだな)
灰のくせに高泉は妙に感心した。
不毛の大地に風が吹いた。灰は飛び散った。高泉の意識も薄らいでいった。薄らぐにつれ、辺りはいったん、限りなく白くなっていった。舞台劇ならば暗転に該当するところだがなにしろ真っ白。むしろビデオや映画の編集用語、フェードアウト・フェードインのほうが適切だろう。いずれにしても場面は転換した。
静かだ。さっきとは違い、青空だ。半透明の雲もただよう。風も心地よい。遠くには低い山脈が広がる。ところどころ木立もある。なんと美しい草原だろう。
(もしかして、極楽浄土かな? まさか・・・)
灰になってしまったはずの身体はなぜか元に戻り、高泉は草原をのんびりと散策していた。
「うっ、うっ、うっ」
女の泣き声だ。高泉は聞こえるほうへ向かっていった。小さな蓮池が見えてきた。池のほとりには一本の菩提樹があった。
「いやはや。蓮池に菩提樹とは。こりゃあ、ほんとに極楽浄土かもしれないぞ・・・ でも、待てよ。俺は蓮の形状は知っているが、菩提樹の形状は知らないはず。なのになぜ、あの木が菩提樹だと判断できるのか。ヘンだなあ・・・」
ぶつくさ言っているうちに、高泉は蓮池に到着した。
若い女が菩提樹の下で膝をつき、蓮池をのぞきこむようにして泣いていた。なんぱをする気にはならなかった。しかし、泣き声が止まない。高泉はつい声を掛けた。
「もし、お嬢さん。泣くのはお止め。こんなに世界は美しいのだから。ほら、顔をあげてみてごらん」
太平洋戦争後しばらく濫造された青春映画のように、高泉は言った。
女は泣きやみ、静かに振り向いた。はて? どこかで観たような顔だ。味噌屋のお婆さんの若い時かな? いや違う。別人だ。
模様のない浴衣のような姿。胸元はたいそう肌けていたが、なぜか色香は感じない。
涙はまだ頬を伝っていた。女はそれを拭おうともせず、微笑んだ。
「そうですね、高泉さん。おっしゃるとおり、世界はこんなに美しいのだから」
女の顔に光がさした。
「今、私の名前を言いましたね。私のこと、知っているのですか?」
「ええ。もちろん知ってますよ。高泉さん」
さて、どこで知り合ったのだろう。
「知ってますよ、高泉さん。高泉さん。高泉さあーん・・・」
あたりは真っ白。フェードアウトだ。
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