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「寺と風呂屋と謎の観音」  フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


十七、点滴の効き目と審査チーム

 真夏なのに寒気がする。頭は痛いし身体の節々も痛い。吐き気もする。昨晩、飲み過ぎたせいだろうか? それとも夏風邪を引いたのだろうか? とにかくひど過ぎる。もしかすると、草刈りの時にいつも刺す蚊が病原菌を注入したのだろうか? あっ、試作の味噌漬けかも?・・・ 

 予定がないのなら寝ていればいい。しかし、今日はいよいよ、区の文化振興課が現地調査に来る。それも、大学教授や研究家で構成されるチームを連れて来る。加藤君のお姉さんによる予備調査はすでに終わり、あとはこの審査チームの判断で、可否が決まるのだ。

 高泉は月額合計三千円の手当てを狙い、坐像、立像、掛け軸の三点を申請した。坐像や立像は、たいした由来ではないものの、確認が取れた。残念ながら掛け軸は、予備調査の段階で審査対象から落ちてしまった。加藤君のお姉さんが膨大な時間を費やしたにもかかわらず、由来がつかめなかったからである。

 すでに月額三千円のもくろみが二千円へとプライスダウン。それだけに、高泉としては当額を死守したかった。境内と本堂のお掃除は、昨日までにしっかり済ませておいたから、あとは管理人としての心象を良くすることに尽きる。

 ところが、寒気に吐き気に頭痛にめまい。生き地獄のオールスターである。これでは愛想よく審査チームを迎えるのは到底無理だ。

(しょうがない。幽霊病院の院長に助けてもらおう)

 本来ならば歩いて六、七分。しかし、脱水状態で日差しも強烈だ。十歩も進まぬうちに目がまわる。産業道路を行き交う大型車輌の轟音は、脳髄に鉄杭のように響く。よほど、向かいの消防署へ行き、救急車で運んでもらおうと思った。だが、今日が西山隊員の出勤日であるとは限らない。ましてや単なる二日酔いの可能性もある。それでは緊急搬送の大義が成立しない。ともかく、サイレンを鳴らして出動する彼らに、すっかり敬服している高泉だ。

 くそおうっ!

 紙切れほど残っていた根性を振り絞り、どうにか病院に辿りついた。

「ただの二日酔いじゃ。放っておけばそのうち治るよ」院長は即断した。

「蚊も味噌漬けも、関係ないの?」

「ああ」

「でも、これじゃあ、困るんだようー」高泉は泣きついた。

「ふえっ! 分かったよ。なら、特製の点滴を打ってやる。これも妹の味噌づけ同様、実験台だと思って、覚悟しろよ」

「何だっていいよ! 早く頼む」

 院長は何やら独り言をいいながら調合作業をした。白目を出して悶える高泉には、その姿は映らなかった。院長はぷっすり点滴針を高泉の腕に刺した。すーっと苦痛が引くとともに、意識も薄らいだ。

「ほれ、いつまで寝とるんじゃ。何のための点滴か、分からんじゃないか」

 せいぜい五分だろう。目覚めてみると苦痛は消えていた。診察台から降りてみると足元が少しふらついたが、病院に向かう時とは種類が違う。

「ふむ。ちゃんと効いたようじゃな」院長は椅子に座ったまま、高泉の顔色を確認した。

「ありがと、院長。えらい助かった。恩にきるよ」

「わかった、わかった。はやく帰れ。時間が来るぞ」

「あ、そういえば、お金、置いてきちゃった」

「そんなこと、分かっているよ。何か仕事で返してくれ」

「ああ、もちろん。でも、お祓いはできないよ」

「ただの管理人で、坊主でも神主でもないからな。もう聞き飽きた。役立たずが! なんにしても、病院じゃあ管理人は探してとらんぞ」

「そう。でも、研修ならやれるのになあー」すっかり気持ちよくなってしまった高泉は頭に浮かぶまま言葉を口にした。

「なんじゃ、それは?」

「あれ、坂上部屋から聞いていないのお? 俺、今、あそこで講師やってるんだよー」

「聞いておらんわい」

「そう?・・・ ほんじゃ、説明してやろうかあ?」

「ふえっ! 薬の効いた奴から研修のことなど聞きたくないわ。今度でいい。もう帰れ、帰れ!」

 足元がふらつき、心配だからか。ただ、邪魔だからか。看護師さんが玄関まで付き添い、高泉を産業道路へ送り出した。

 ついさっきは鉄杭のように響いた大型車両の轟音。点滴で心地よくなった今度はアルプス羊飼いのホルンのように響いた。

 るんるん。

 ひげづらの大男にもかかわらず、そよ風に吹かれたアニメの少女のように、家路を急いだ。街路樹の木漏れ陽がめくるめき、審査合格の希望が膨らんだ。

「あ、こんにちは、高泉さん」

 審査チームよりも一足先に来ていた加藤君のお姉さん。その声も少女のようにさわやかだった。

「いい天気ですねえ、加藤さん!」

「ええ、そうですねえ」まさか高泉がラリっているとは思わず、彼女も心地よく応じた。が、それもつかの間。顔を曇らせ思いを語った。

「観音図、本当に残念です。悔しいほどです。これだけ凄い作品なのに・・・」

 今日は坐像と立像の審査なのに、どうしても掛け軸に惹かれてしまうらしい。高泉の気分は急速に白んだ。ともかく、月々の手当ての対象からすでに脱落してしまった掛け軸なぞ、高泉にはどうでもよかったのである。

「でも、来年度の再申請もあるし。わたし、引き続き調べます。どうか長い目で観てやって下さい」彼女は決意を伝えた。

 まもなく、審査チームがマイクロバスで到着した。文化振興課長と男性課員一名を入れ、計六名である。

 加藤君のお姉さんは、門と本堂をつなぐ石畳まで到着した面々を誘導した後、まず課長を紹介した。審査員各位は、課長が紹介した。同僚となる男性課員は、最後に自己紹介した。

 祠も、星乃湯が立てた看板も通り過ぎ、チームはまっすぐ本堂へ入った。本堂に加藤君が新設してくれた賽銭箱はどう見てもミスマッチだったが、チームリーダーの教授がチラリと視線を置いた程度だった。

 ところが、全員、観音図に釘付けとなった。本来なら、先行調査によって申請を退けたお姉さんが、審査員たちの関心が座像と立像へ向くよう仕切るべきだ。しかし、彼女自身が、審査チームを本堂に引き入れるなりすぐさま見つめてしまった。審査員たちの視線も、それに導かれてしまったのである。

 さすがに課長は、立場が立場だけに図に囚われなかった。だが、突然の異様な雰囲気から、よほど凄いことが起きたと直感し、緊張した面持ちで成り行きを見守っていた。男性課員は上司である課長の緊張を受け、さらに緊張した。

 あせる高泉をあざ笑うように沈黙は続いた。

「んんっん!」

 耐え切れなくなった高泉は、咳払いをした。

 ようやくお姉さんが説明を始めた。説明は長くなった。なぜなら、彼女の個人的な思い入れや、連日試みた予備調査の仕方についても詳しく述べたからである。審査員たちは最後まで口を挟まず真剣な表情で聴いた。そして、唸った。

 これほどの図を描ける作者。なぜ調べがつかないのだろう? 加藤職員の調査に落ち度はなかったのか? ここから議論は開始された。審査員の一人は日本でも一、二の宗教美術研究家と言われているだけに、白熱した。

 ようやく議論が収まった時、研究家は、高泉へ貸し出しを切望した。

「もちろん、結構です。どうぞどうぞ!」

 掛け軸がすっかり鬱陶しくなっていた高泉は飛びついた。

 高泉は展示のケースに手をかけた。が、防犯ブザーのことを思い出し、自分で外すのは止めた。弟へ撤去を依頼した上で、研究家へ発送してもらうようお姉さんへ頼んだ。お姉さんは、もちろん承諾した。チームリーダーの教授が重々しくうなづいているのを見ていた課長も、黙認した。

<次の章へ続く>

 
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2006年10月20日

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