二十一、フランケンシュタイン
「高泉さん、高泉さん。高泉さあーん」
有限会社田中工務店の加藤君の声が聞こえた。
(なんだ。また夢か・・・)
起きた高泉はあぐらの体勢を作りながら言った。
いつ本堂へ移動したのか、いつ寝入ったのか、またも記憶にない。昨晩は二合ていどなのに変だ。特製点滴の副作用だろうか?
「高泉さん。そんな格好で本堂で寝ていたんじゃ、せっかく作った賽銭箱にお賽銭入れてくれる人が出てきませんよ」加藤君はクレームを言った。
「せめて、扉を閉めて寝ればいいのに・・・」
「悪い悪い。以後、気をつけるから。でも、それをわざわざ伝えにきてくれたの?」
「いえ。掛け軸を受け取りに来たんです。昨晩、姉から言われましてね」
「あ、もう来てくれたんだ。で、お姉さんは一緒じゃないの?」
「ええ。たまたま前の道路を通って行く用があったので、さっそく寄ることにしたのです」
「引き受けてくれてありがとね」
「いいえ、いいんです。僕も由来が知りたいですしね。掛け軸の貸し出しを依頼した研究者、そうとうの権威らしく、姉も期待しています」
「ふーん・・・」
「そういえば、探偵社の島津さんから、連絡は? 和紙の製作元、調べているはずでしたよね」
「いや。まだ連絡がないよ。もっとも、うちには電話がないから、わざわざ来てもらわなくちゃならんけどね」
「手紙を出す方法が残ってますよ。島津さんだって、ここの住所、知ってるんでしょう?」
「あ、そうか。その手段、忘れていた。手紙なんて、とんと受け取ってないからなあ。それにしても探偵稼業、順調にスタートしたのかしらん?」
勝手知ったる加藤君。高泉がつぶやいている最中にテキパキと作業を進め、掛け軸を取り出した。
「では、掛け軸、今晩、姉に渡しておきます。張り切っていたから、研究者の人へは、明日にでも渡すと思います」掛け軸を巻き取りながら加藤君は言った。
「よろしくね」
「ショーケース、このままでいいですか。防犯ブザーの電池は抜いておきますから、あとは高泉さんのほうで保管しておいて下さい」
「え? ケースも持っていってくれるんじゃないの?」
「いやあ、それは困りますよ。会社は黙認してくれているけど、正式な仕事で作ったわけじゃないから」
「そうかあ。じゃ、俺のほうで処分しておくよ」
「処分ですって?」加藤君は驚いた。
「あ、ごめん!」
戻ってこなくても構わない掛け軸。ケースなどじゃまになり、つい『処分』という言葉を使ってしまった。だが、加藤君の驚いた顔を見て、反省した。
「あと、姉がこれを・・・」加藤君は、背広の内ポケットから茶封筒を取り出した。受け取った高泉はその場で開けてみた。A4一枚に五行程度の簡単な由来調査票。そのコピーが、坐像と立像それぞれ一枚、折りたたんで入っていた。
(あーあ、さすが月千円だけのことはある。売っぱらうのは諦めたほうが良さそうだなあ・・・)
加藤君を見送ってからショーケースを保管する場所を考えてみた。答えはすぐ出た。掛け軸用のケースとはいえ、結構大きい。本堂内部の北側の戸棚しかない。
引越当初から空っぽ。以前は何が入っていたのだろうか? 入っていたものはどこへ持ち去られたのだろうか? 今となっては見当もつかない。が、空っぽのおかげで、ショーケースは充分収まるはずだ。
戸棚の引き戸を開けてから、高泉はケースを両手で抱え込むようにして持ち上げた。加藤君が割れないガラスで作ってくれたことを忘れていた高泉は、「ガラスが割れないように・・・」とつぶやきながら、両手を離さずにケースを差し入れようとした。そのため、右上腕の下部がケースとこすれた。
「あちちちっ!」
強い痛みが走り、思わず高泉は右手をケースから離してしまった。
がちゃん!
乱暴な音を立ててケースは棚に落ちた。割れないガラスだから当然割れなかったが、痛みのせいでそれどころではなかった。
右腕をあげ、Tシャツの袖をめくった。ひどい火ぶくれだ。どうしてだろう? 昨晩の記憶は途中から失なっている。だが、火は、七輪でしか起こしていない。
「あっ、いけねえ。七輪に封をしたっけ?」
高泉は洗い場へ慌てて行った。ふたも栓も、ちゃんとしてあった。
(記憶喪失でも、火の始末をしてあるとは。俺も結構、まめになったなあ・・・)
お向かいの消防署から出動する車両のサイレンが、高泉に多大な教育効果をもたらしていたのである。
しかし、高泉の右腕下の火傷。原因が七輪にせよ何にせよ、痛みが我慢できない。高泉は仕方なく、昨日に続き幽霊病院へ行った。
「ふむ。ひどいな。すぐ来て正解じゃったぞ。ふえっ」
院長は今回も自ら処置をしてくれた。階段の昇り降りこそ亀の坂登りだが、いざ診察イスに座っての手さばきは実に速い。
「悪いねえ」
「ああ、悪いさ。しばらく毎日来な。ところで、昨日はそのまま帰したが、今日はそうはいかんぞ。なあーんか仕事で返してもらわにゃー、ふえっ!」
たしかに昨日、高泉は院長の特製点滴でハイになりながらも、治療費を仕事で返すことを約束していた。
「ああ、いいよ」どうせ時間はたっぷりある。
「でも、何すっかねえ? 坂上部屋じゃ、研修で後援会費をちゃらにしてもらっているけどね」
「昨日も言っとってな。具体的にゃ、どんな研修なんじゃい?」
院長の求めに応じて、高泉は説明した。概念形成。前提。判断。推理。分析。分類。体系化。総合化。その他あれこれ。さすが長年医療の現場に携わってきた院長は、理論と照合できるだけの実践を積んでいる。抵抗なくすんなりと受け入れた。
「ふむ。そいじゃ、うちで働く者たちにも、研修をやってくれ。今日、事務長に日程を組ませておくから」
「ああ」坂上部屋で先行してカリキュラムを消化しているだけに、高泉もすんなり受け入れた。
「それとな・・・」院長は加えつけようとした。
「ええっ! まだあるの?」高泉はどきりとした。
「なんじゃ。研修ぐらいじゃあ、治療代は足らんぞ、ふえっ! 事務資料の整理を手伝ってやってくれ。事務長が苦労しているのでな。分類や体系化が得意と言うなら、簡単じゃろうに」
「えーっ? でもカルテは、専門用語とかドイツ語とかで書いてあるんじゃないの? そんなの判読できないよ」
「そんなことわかっとる。だから、カルテとは言っておらん。カルテを除く、事務資料全般の整理じゃ。コンピュータへ情報を移し、紙は焼却すると事務長は言ってとってな。急ぎはせん。合間を見て手伝ってくれりゃいい」
「わかった。手伝うよ」
研修で理論を教えるのみならず、実践への応用についても指導する。一種のアフターサービスだ。と、高泉は自分自身を説得し、請け負うことにした。
「その代わり、また何か怪我でもしたら、面倒みてくれよ、院長」
「ああ。死んで運ばれてきても、フランケンシュタインみたいに再生してやるわなさ。ふえっ、ふえっ」病院の地下に秘密の実験室があるぞと言わんばかりの顔をして院長は笑い、高泉を診察室から追い出した。
廊下の待合いベンチでは患者が七、八人、のんびり順番を待っていた。あたかも路地の縁台でくつろいでいるかのようであった。


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