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「寺と風呂屋と謎の観音」  フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


二十三、前提と善悪の判断基準

ぶおっー!

「おい、また焼き払うつもりかい。もう、そうはさせないぞ」

「ほざくな! うぬにそんな力などあるものか!」ぶおっー。

「そうかい。じゃあ、言っちゃおう。あんたは元々せこいペテン師だった。ところがある時、ペテンにかけた寺の尼さんに片思いの恋をしちまった。狂おしいほどのな。そこで罪の意識が芽生えたが、数々の所業は消すことができない。さんざん苦しんだ挙句、焼身自殺。そこへ釈迦が現れ、おまえを門番に採用した・・・。味噌屋のお婆さんから聞いた話は、だいたいそんなところだ。ちぇっ。焼身自殺だなんで、哀れな奴よ」

「うっ!」

「どうした。言葉を失ったかい」

「うっ、うっ、うっ」

「なんだ。泣いてんのか?」高泉はあぐらになって言った。

 すると、それまでは夜とも昼ともつかなかった空に小さな穴が開き、一筋の光が火炎大神を照らした。光の源をあおぎ見た大神は、「はい。分かりました」と言った。その途端、火炎大神はすーっと縮まり、高泉と同じ大きさになった。引き続きごっつかったが、火を吐きながら怒りまくっていた時の迫力は消えていた。

「教えて下さい、高泉さん」

「え、何を?」

「論理的思考を」

「おっ、ようやくその重要性を知ったか。いい子だ。まあ、まずは座れよ」

 大神は不浄の大地に正座をした。

「おいおい、急にかこしこまるなよ。やりにくいじゃないか。あぐらになれよ」

 大神は足を崩した。

「ところで、さっき空に向かって話してたな。相手は誰だったんだ?」

「お釈迦様です。高泉さんから教えを賜るように、との指示でした」

「ほう。さすがに理解力があるな、お釈迦さんは。だいたい、後世の人たちが神秘化し過ぎたんだ。原典研究者の説だと、お釈迦さん、実際にはむしろ論理的な考えの持ち主だったそうだしな。ま、いずれにしても許可が降りたんだ。ゆっくりと講義できるさ」

「は。お願い致します」

「さて、本日の講義テーマは何にすっかね」

「『前提』という概念についてお願い致します。この前、無知を指摘頂きましたので」

「そりゃいい。たいていの物事には、前提があるからな。特に、人間社会はそうだから。おっと、火炎大神。あんたは人間界の存在じゃなかったな」

「いいえ。人間界あっての仏界なので。続けて下さい」

「どんどん理解が進んでいるじゃない。今のも前提だよ」

「つまり、仏界にとっては、人間界が前提ということですね」

「そう、そう」

「神を前提に人間界があるとする宗教と、逆の立場になりますね、仏界は」

「言われてみれば、そうだね。でも、仏界にいながら、別の宗教についても知ってんの?」

「はい。ワームホール方式の宇宙ネットで検索しました」

「へえー、ワームホール。懐かしいなあ、サラリーマン時代に彼女と観た映画のクライマックスで登場したなあ。たしかコンタクトという映画だった。カール・セーガン博士が原作で、監督はえーと・・・」

「監督はロバート・ゼミキスですよ。バックトゥザフューチャーやフォレスト・ガンプと同じ監督です」

「すごいねえ、映画まで詳しいんだ。それも宇宙ネットのおかげ?」

「はい。そうです」

「下手すると俺よりも映画詳しいじゃん。何か面白い作品教えてよ。ひょっとすると、あんたの超能力を使えば空をスクリーンに映写できるんじゃない? そうしたら凄い迫力だろうなあ」

「んんっ」火炎大神は咳払いをして師を睨んだ。小さくなっても火炎大神。睨まれるとやはり怖い。

「あ、ごめん。講義に戻るから。そうおっかない顔しないで。で、本日のテーマはなんだったっけ? 忘れちゃった」

「物事の前提についてです」

「あ、そうだったね。で、えーと、まず俺が最も強調したいのは、『善悪の判断基準ですら前提次第』ということだ」

「は?」

「善悪は、無条件で定めることはできない。すなわち、普遍的な善悪基準なんてものはない。ということよ」

「抽象的で難しいですね」

「だめだなあ、この抽象的な説明が分からないようじゃあ。火炎大神よ。だいたいな、抽象的ということは、その分、幅広く適用できるということなんだぞ」

「分かりました。私も抽象的な説明を拒まないよう以後、気をつけます」

「よしよし」

「しかし、一つだけでも、何か具体的な事例を教えて頂けませんか?」

「うん。いいよ。抽象化によって、原理をつかんだ後は、具体的な事柄に適用して理解促進を図る。それは当然のことだからね」

「なるほど」火炎大神は深くうなづいた。

「善悪の判断基準も前提次第。この具体的事例か・・・。何がいいかなあ」高泉はしばらく考えた。

「おっ、そうだ。たとえば、おしっこ」高泉は思いついた。

「おしっこ?」禅問答をしかけられて困ってしまった人間のように、火炎大神はオウム返しをした。

「そう、おしっこ。小用のことだ。たとえば、俺様が冥王星に独りで住んでいるとしよう。居住区の施設には不足はないが、気晴らしに屋外で小用したとする。先々も他の人間が訪問してくる予定が全くないなら、この気晴らしはなんら悪ではあるまい」

「そうですね。悪ではないでしょう。誰も迷惑を被らないわけですからね」火炎大神は同意した。

「ところがだ。これが冥王星じゃなく崩落寺の境内が前提となると、別だ。今やあんたや仏像が区の文化財になり、参拝者や賽銭の増加も図らなければならないし・・・ だからぐっと我慢をしてだなあ。ぐっと我慢を。あ、ん。いやはや、まいったな。大神、ここいらに公衆便所はないかい」

「ありません」火炎大神はきっぱりと答えた。

「ええっ! 不浄の大地のくせに、便所の一つもないとは。困ったな。漏れそうだ。うっ、あ、ん・・・」

<次の章へ続く>

 
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2006年10月20日

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