四十四、知事来訪
「高泉さま! 高泉さま!」
「んーん。あ? 味噌屋か・・・」
「さあ、お起きになって、高泉和尚さま」
「なんだよ。またオカルト変身か? 寝起きが悪いな、こりゃあ・・・」
「おやまあ、うちの若い衆のように、寝ぼけ遊ばして。わたしは味噌屋さんではありませんよ。和尚さま、しっかりなさいまし」
「あ、ほんとだ。坂上部屋のお上さんじゃないか! あれ? 誰、うしろの人?」
板の間からようやく上半身だけ起こした高泉はまだ充分、寝ぼけていた。
「あらまあ、ご冗談が過ぎますよ、和尚さま。おほほほ・・・」坂上部屋のお上さんは艶っぽい笑いでごまかそうと後ろの人物を振り返った。恰幅のいい熟年男である。
「睡眠派の和尚さまは、お昼寝もさることながら、夕寝によっても悟りを開くことも。その際、天国や地獄を視察することさえも。だから、現世の感覚に戻るまでお時間が必要なのです」場を取り繕おうとしてお上さんはいい加減な話をした。
「ほう。それはうらやましいことですな。健康にもよさそうですし、次回落選でもしたら私も見習いましょう! はっはっはっ」
「あらご謙遜なすって。次回も再選なさりますよ」
「落選? 再選?」高泉は寝ぼけたまま頭を捻った。
「あっ! 忘れてた! 今日だったか!」高泉は慌てて立ち上がった。
「夕寝も勤行のうちとはいえ、ほんとに困ったものですねえー。おほほ。知事さま。どうか和尚さまをお許し下さいな」
「もういい加減『知事さま』はやめて下さいよ、ははは。やめないと、お上さんのことも『お上さま』とでも呼びますよ」
知事は若返り、いたずらっぽい笑顔でお上さんを見た。どうやらすっかりお上さんにリードを取られてしまったようだ。さすが坂上部屋のお上さん。男女のまわしを取らせたら横綱なみ、と親方陣から評価を受けているだけのことはある。
「それにしても、電気のない暮らしとは・・・ 秋の夕方でもこんなに薄暗くなるものでしたかねえ。懐かしくさえ感じますよ」
そう言って知事は、多数の警護要員で固められた崩落寺の本堂内へ、ゆっくりと視線を巡らせた。
ところで、星乃湯の件は、その後、どうなったのか?
観光課、環境課、文化振興課のキャリアを持つ加藤君のお姉さんの奔走にもかかわらず、区としての結論は、次期へ繰り越し。つまり、是とも非とも決定されなかったのである。
木を燃やしても有害物質を出さないよう旧式ボイラーを改造できるところまでは、見込みがついた。見積もりに来た技術者があのボイラーのファンになり、改造を約束してくれたのである。有害物質を排出しなくなるであろう根拠も添えた改造計画書も、 で作成してくれた。反対し続けてきた環境課長は、この計画書でついに折れた。
しかし、環境課長の上司にあたる市民生活部長が、区長との懇親会でこれを雑談のネタにしてしまった。そしたら、「知事が環境問題に力を入れている中、正式に認めるのはちょっと・・・」とのコメントを賜ったのである。なにも区長に限らず「ちょっと」の意味は計り知れないが、いずれにしても許可は出なかった。
居直った高泉は、闇操業の再開を星乃湯へ勧めた。しかし星乃湯の主人は「こそこそやるのはもう疲れた。正々堂々と木を燃やしたい」と言って譲らない。
いよいよ弱った高泉、残り僅かとなったものぐさ意識をかなぐり捨て、単独、都庁へ陳情に行った。が、当然、門前払いだ。
頭に来た高泉は、都庁前で座り込みをやらかそうと決めた。しかし、何かの過激派と間違われてはまずいとの秋山青年による配慮と着想で、立派な袈裟と数珠と笠を着用し、都庁の近くでお地蔵よろしく突っ立つことにした。
秋山青年は広告代理店時代に貸しがあるTVプロデューサーを通じ、知事がちょくちょく出演するバラエティショーへ裏工作。地蔵高泉の取材映像に目にとめた知事は、翌日の出勤時、直接コンタクトしてきたのである。
毎日配達してくれる魚屋から、このコンタクトの報を受けた坂上部屋のお上さん。さすがに手早い。相撲界のコネクションも駆使し、銭湯廃業問題についての懇談会場を部屋の広間に設定した。部屋の若い衆を会場警備に配置するとのアプローチも、知事の危機管理意識に訴えたようだが、しばらくちゃんこ鍋を食べていないことも知事の食欲に訴えたようである。お上さんとしては、とにかく名前だけで充分だから知事を後援会員に引きずり込みたい。
懇談会には、星乃湯の主人はもちろん、ボイラー保存運動の主要メンバーも参加した。催しを区へ事前通知しようとの意見も多く出たが、区長へのあてこすりと誤解されてはとの配慮で、取り止めた。
お上さんの仕切りは絶妙で、知事もゆっくりと懇談できた。ここまで来たら、高泉、おとなしく酒を飲んでいればいい。が、会の後半、崩落寺での生活ぶりに関する情報が知事の耳に飛び込んだ。
「今どき、電気のない暮らしに七輪か・・・」
何しろ、自ら出演する節電キャンペーンが大々的にテレビ放映され、ポスターもあちこちに貼ってあるほどだ。知事に湧いた好奇心をお上さんはすかさず引き取り、崩落寺の視察と七輪の宴をセットアップしたのである。
「秋の夕方でもこんなに薄暗くなるものでしたかねえ。懐かしくさえ感じますよ・・・」
そう言いながら、知事は、多数の警護要員で周辺が固められた崩落寺の本堂内へゆっくりと視線を巡らせた。
「おや。あれはまた何ですか?」
現場職員用のジャンパーを着込んだ知事が、踊り場へと踏み込んだ。
「あれですか。あれは、観音図です」
高泉は右手を掛け軸の方向へ差し出し、知事を堂内に招き入れた。
「ほう。よく描かれてますなあ」知事は腕を組みながら感心した。が、さすが豪腕の知事。心気を抜き取られるまでには至らなかった。
「作者は、この朱印の人ですか?」
「一応そうなのですが・・・」
「一応というと?」
知事の質問に応え、これまでの経緯を高泉は話した。
「ふーむ。そうですかあ。これほどの画を描く人が、偽名であろうと無名とは。よほど素性を知られたくなかったのでしょうな」
若かりし頃、推理作家だった知事。久々にその種の好奇心が湧いてきたようである。
「今、探偵が犯罪筋も調べていますが、まだ作者のプロフィルはつかめていません」
「しかし、お隣りの墓地に埋葬された普古野さんという人物。巡回僧ということでしたよね。そのお坊さんが茶箱に隠したという可能性、考えていないのですか?」
「それは考えています。茶箱自体は、当時、広く出回っていたものと判明しましたが、二重の底を追加する技能が巡回僧の普古野さんにあったかどうか」
「それは大工へ依頼したことも考えられる。おそらく昔に戻れば戻るほど、職人さんが多く住んでいたでしょうからね」
「たしかにその線も考えられます。いずれにしても、普古野さんは、何かしら関わっていたとは想像しています」
「普古野さんが作者の可能性は?」
「それは無いと断定しています」
「断定ですかあー」
「ええ。赤貧であったとはいえ、普古野さんの信望が各地で厚かったことが分かったからです。だから素性を隠すような後ろめたさは何もない」高泉は断定した理由を説明した。
「うーむ。そうならば、断定できるかもしれませんね。ところで、お墓から出てきたノートは、今どこに?」
「探偵に預けました」
「そうですか。じゃ、今は拝見できませんな」
「ご覧になりたいのですか?」
「ええ、まあ。いや、いずれ政界を引退したら、また推理小説でも書こうなどという考えが、今、ちらっと頭をよぎったものですから」
「そうですか。では、コピーをお届けします」
「あ、よろしくお願いします。で、その探偵さんが記録を調べるのに役立つのだったら、警視庁へ声を掛けておきますよ」
「ありがとうございます。本人に伝えておきます。長く刑事をしていた人ですから、すでに情報源はどうにかしてるのでしょうが・・・」
「さあさあ、知事さま、和尚さま。準備が整いましたよ!」割烹着姿で洗い場から戻ってきた坂上部屋のお上さんが、元気よく声を掛けた。
「お上さん。あんまり準備が整い過ぎると、私の期待とかけ離れてしまうのじゃあ・・・」
「その辺、お任せ下さいな。部屋でも以前は七輪を使っていましたから。簡素な風情は心得ているつもりですよ」
「そうですかあ? 先日のゴージャスなちゃんこ鍋からして、心配になるなあー・・・」
知事は嬉しそうに本堂から出て行った。高泉もその後から、洗い場の横、七輪の宴会場へ向かった。そこでは斉藤少年が担当する焚き火が、秋の香を放っていた。
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