四十九、記念プレート
近づく年末の渋滞に巻き込まれた加藤姉弟は、暗くなってから到着した。
普古野さんの残したノートに関する調査が一段落。急な出張で島津は欠席となったが、ご苦労さん会を七輪で行なうことになったのである。
田中工務店の車を運転して帰る関係上、加藤君はウーロン茶のペットボトルを持参した。お姉さんは駆けつけ一杯をした。前に高橋さんや島津と飲んだ時も、一人ケロリとしていた彼女。相当、強いらしい。
「お疲れさん。冊数があったから、大変だったでしょ」小ぶりの火鉢を姉弟のために持ち出した高泉は、炭を足しながら言った。
「整理はまだ完全ではありませんが、全部、目を通しました」お姉さんが答えた。
「僕も全部、目を通しました」加藤君も答えた。
「たぶん、岸さんのこと、何も書いてなかったんじゃない?」
「はい。崩落寺を仮の宿に求める人が多数いた、とは書いてありましたが、岸さんの本名も偽名も見当たりませんでした」お姉さんは答えた。
「掛け軸については?」
「それもありませんでした。本堂内に置いてあったのは坐像と立像だけ。これは明らかなようです」
「そう言えば、姉さん。仮の宿としながらも、居つく人が誰一人いなかったのは、火炎大神が怖かったから、と書いてあったよね」加藤君がお姉さんへ言った。
「そうね。書いてあったわ」彼女は同意した。
「へえー。初めは俺も不気味に感じたけど、すぐに慣れちまった。みんな、怖がりなんだねえ。それとも、俺は神仏を信じてないが、昔の人は信じていたからかな? 理由、書いてあった?」
「いいえ。書いてありませんでした。ただ『怖かったから』とだけです」
「あいつが夢に出るのは、俺だけじゃないのかな?」
「高泉さん、火炎大神の夢を見るのですか?」加藤君が意外そうに訊いた。
「まあね。最近見ないけど、以前はちょくちょくね」
「へえー・・・」やはり加藤君には意外なようだ。
「で、岸さんの本名も偽名も出てないのは、逃亡中だから当然として。別の人名で彼らしき記述はノートになかったの?」高泉はお姉さんへ訊いた。
「わたし、すでに二回、目を通したのですが、それらしき人は出ていませんでした」
「そうかあ。手がかりなしだね」
「たとえ崩落寺で普古野さんと出遭っていたとしても、逃亡している岸さんとしては、身を明かさなかったのでは?」お姉さんが補足した。
「もし岸さんが身を明かしたとしても、逃亡者という身を案じて、普古野さんはノートには書かないのでは? 僕ならばそうするな」加藤君は想像した。
「そうも考えられるね。ましてや普古野さん、悔悛指導師でもあったのだから」
「告白内容、自分の心のうちに止めておくのが職務上の義務になるものね」加藤君はお姉さんに同意した。
「なるほど。それは言えている。じゃ、これでノートの分析も終了だね。二人とも忙しいだろうし。俺のほうはこれで終わりということで、全く構わんよ」
「はい。そうします」
「はい。わたしも、岸さんに関する詮索という意味では・・・ でも、普古野さんのお仕事に興味が沸いてきたので、その意味で続けてみます」お姉さんは掛け軸への情熱とは別種の情熱が湧き上がってきたようである。
「そうなの? なら、僕も手伝うよ」加藤君は協力を申し出た。
「じゃ、いつか二人でレクチャーしてね。一応、俺も、普古野さんの墓も含めて巡回する立場だから、ま、知っておいても悪くはなかろう。もっとも、灰は故郷の小川に撒かれちまって、墓には一粒もないけれど」
「灰を撒いて欲しいとの希望は、ノートにもみつけました」加藤君が伝えた。
「まさに希望は実現したわけだ。よかった、よかった。じゃ、辛気臭い話はこれで終わりにして、もっと飲もうっと。二人も良ければ。あ、車を運転して帰らなければならないのかあ。でも、加藤君、ウーロン茶じゃ、身体が冷えちまうんじゃない?」
「せっかくですけど、飲酒運転はまずいので・・・。ところで、掛け軸のほう、誰が隠したのか、なぜ茶箱の二重底に隠したのか。この二点だけ、まだ気になりますねえ・・・」
「ま、どうやらその二点は、永遠の謎となりそうだ」高泉は言った。
「あとは、想像だけというわけですか・・・」加藤君はつぶやいた。
二重底から出てきたのが竹筒。竹筒から出てきたのが掛け軸。竹筒を大型ハンマーで叩き割ったのは、加藤君。振り返ってみれば、発見の当事者だ。
「高泉さんは、どう想像しますか?」加藤君は訊いた。
「うーん。まあ、隠したのは、岸さん自身。または、岸さんから委託を受けた誰かだろうねえ。これ以外の可能性は、それこそ想像もつかないよ」
「そうですね。私も他の可能性は想像もつきません」お姉さんが同意した。
「なぜ隠したか、については?」さらに加藤君は訊いた。
「うーむ。隠した人物を確定できない以上は、動機も確定できないからね・・・」高泉は考え込んだ。
「僕は、罪が晴れた時まで保管しておくためだと想像します。もし普古野さんが隠したとしても、そうじゃないかな。巡回の際、重い竹筒を携帯するわけにもいかないし・・・ 今でも、僕の手には、あの時の重い感触が残っています」
「そのように想像できるわね。実際、そうだったのでしょう。でも、わたしは・・・ いいえ。これは想像ではないからやめておくわ」
「なんだよ、姉さん。想像でないなら、なに? 推理?」弟は姉を問い詰めた。
「推理でもないわ。変な言い方かもしれないけど、わたしの希望というか、願いというか。『こうだったらいいな』という感じ・・・」
「で?」
「後世の人が発見して、苦悩を汲み取ってくれること。時代を越えて、分かち合ってくれること」
「そうか。指名手配を受けている当時は到底期待できないけど、いつの日か、誰かが必ず・・・」弟は姉の心情を理解した。
「なるほど」高泉は感心した。
「そう解釈したほうが、気持ちが明るくなるね。実際、今、たくさんの人が、共有してくれたことだし。もはや過去の事実なんて、一切関係ないな」
「いや、関係ありますよ! おおいに!」加藤君が突然大きな声を出した。
「誰がなぜ隠したのか謎のままでも、無実を訴えながら逃げ回った人が観音を描いたことは事実なのだから!」加藤君は高泉が驚いた顔をしているのも気にせず続けた。
「僕が、由来を刻んだプレートを作ります。ショーケースの下に貼ってください!」
「ああ、わかった。わかったよ」高泉は加藤君の迫力に呑まれた。
弟の申し出を承諾した高泉を見て、お姉さんはそれこそ観音様のように優しく微笑んだ。
「高泉さん。もっと、お酒はいかが?」彼女は一升瓶を両手に取り、高泉を誘った。
「えっ? 加藤さん、女性がお酌するのは主義に合わないと言ってたじゃない?」高泉は奇妙な声をあげた。
「今晩は特別。でも、高橋さんや島津さんには、内緒ですよ」そう言ってお姉さんは公務員とは思えないウインクをしてみせた。北隣りの公園から差し込まれる水銀灯。焚き火、七輪や火鉢の光。カクテル光線で、加藤君もそのウインクをしっかり見た。
「姉さん。都バスで帰ることにしてもいい? やっぱり僕も飲むことにするよ」
「そうなさい」
「おっ、そうこなくちゃあ。じゃ、職員用の駐車場にでも車をとめさせてくれるよう、お向かいへ頼もう!」
「それなら僕も安心して飲めます」
高泉は立ち上がって、加藤君を連れて消防署へ向かった。
お姉さんは手を火鉢にかざした。木炭が放射する赤外線が、ゆっくりと、しかし確実に、芯から彼女を暖めた。


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