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何事も、素人による推量は危険だ。病気については、なおさらである。 たとえば、私の妻の父の場合、大便の際の出血を、本人は「ただの痔」と決めつけ、医者にかからず長期間放置しておいた。しかし、実際にはその出血は大腸癌が原因であった。 ようやく医者にかかった時には、かなり進行していて、入院・手術・退院、そして通院による抗がん剤治療を繰り返し、それでも進行し、直腸も切除し人工肛門の装置を身につけるに至った。抗がん剤治療はそうとう辛く、食欲も減退し嘔吐することも多い。体力のみならず気力も削がれ、本を読んでもテレビを観ても、人と会話しても疲れてしまうため、退院できても何もせずにぐったりしているしかない。こうした状況は、闘病をする本人もさることながら、看病をする伴侶にも大きな負荷となっている。 「ただの痔」と判断をし、肛門周囲を衛生的に保つためにと、ウォシュレットを購入した頃が思い出され、「あの時、素人判断していなければ・・・」と、本人のみならず家族全員が悔いているが、もはや遅い。
さて、当記は標題にある通り「痔」に関する私自身の体験記である。癌についてではない。が、この私自身も、妻の父同様に、医者にかからないまま、「出血の原因は痔だ」と素人判断したままである。妻の父に関して、素人判断の怖さを痛感しているにもかかわらずだ。 なぜ、私はこのような矛盾を続けているのか? ここ数年、出血が小康状態であることもその理由だが、それ以上に大きな理由としては、医者に見せるのが恥ずかしいからだ。もちろん、恥ずかしいのは誰だって同じであることは承知している。女性患者が男性医師に見せるのに比れば、恥ずかしさの度合いもずっと小さいことも承知している。恥ずかしさが命とりになる可能性も承知している。 しかし、いまだ、妻の父と同様に、出血の原因を痔と素人判断を続けているのが実際である。 以下は、こうした危険な前提のもと語る痔に関する体験記となる。素人判断の危険性も含め、参考になれば幸甚である。
私は昭和29年生まれで現在53歳だが、初めて出血したのは、20代中盤である。正確な年月日は覚えていないが、事前の兆候もなく、排便時いきなり大量の出血があったことと、その血が澄んだ色であったことを覚えている。よく鮮血という用語を聞く。鮮血の用語定義は知らないが、私の初めての出血も、鮮血に該当するのかもしれない。いずれにしても、よどんでいる様子はなく、赤黒い箇所、どす黒い箇所などは全くなかった。当時は、共同の和式水洗トイレのある安アパートに住んでいたため、観察する気にさえなれば、血や便をよく観察することができた。洋式トイレだと、ご存知の通り、直接水たまりに投下されるので、排便終了時の正確な観察が容易ではない。
この初回の出血の原因だが、素人の推理とはいえ、私には明白なものに思えた。 まず、私は小学校中盤から、頻繁に下痢をするようになった。なぜ下痢をするようになったか、その理由まで掘り下げると別のテーマになってしまうので止めておくが、こうした状態が長年続くうちに、肛門はずいぶん痛んでいたと思う。下痢の便をすべて排泄し腹痛を和らげようとして、和式トイレでしゃがんだ姿勢で踏んばるため、肛門が体外にめくれあがってしまうのである。ウォシュレットがない時代なので、めくれあがった粘膜を紙でごしごし拭くことになり、さらに痛めつけることになった。 そこへ加えて、飲酒をして構わない年齢になって以降は、毎晩のように酒を飲んだ。なまじ強かっただけに、かなりの量を飲んだ。つまみも多く食べた。酒を飲まない頃から下痢してきたところへ、暴飲暴食というわけだから、その下痢のすさまじさは、便の量と回数ともに尋常ではなかった。 また、大量の飲酒は、肝臓を疲弊させるとのこと。後になってから情報を得たのだが、肝臓の疲弊は痔の遠因になり得るとのこと。それは、おおむね次のような理由による。 ・肝臓が疲弊すると、血液の循環が悪くなる。 ・そうなると特に毛細血管の血の循環が悪くなる。 ・肛門の手前の直腸周辺には毛細血管が集中しているため、古い血が滞る度合いも大きい。 ・それにより周辺の諸細胞の更新もままならずもろくなり、正常な状態ならば耐えられる大便通過時の刺激でも破損してしまい、出血となる。ちなみに、これを「きれ痔」というらしい。 ・また、細胞がもろくなった箇所に血が溜まって膨らめば、そこはなおさら大便通過時に破損しやすい。この場合、溜まった血が噴き出すわけだから、出血の量も大きい。ちなみに、これを「いぼ痔」というらしい。 ・私の場合、どうやらこの範囲で済んだ模様だが、さらに細胞更新が滞ると、直腸の内側から、肛門周辺のお尻に向かって細い穴があき、そこから膿が出てくるそうで、これを「痔ろう」と言うらしい。昔は、不潔にしていることが原因となって痔ろうができると思った人がいたと聞くが、実際はそうではないようだ。いわば体の一部が腐るわけだから、大変恐ろしい事態である。
当初、こうした認識をすぐに持てたわけではない。大量の出血を見て驚きはしたが、なぜか出血に関係する痛みはなく、そのため「きっとこれが痔なんだろうなあ」と、他人事のように思っていた。この関係で、初めて出血した20代中盤から数年間、痔についての専門的な情報をあさることはなかった。 ところが、20代終盤(たしか29歳)、突然、激しい痛みが走った。この激痛は特有なもので、うまく表現できないが、高圧の電気が肛門から背中の間を突き抜けたとでもいうような感じであった。 一人で街中を歩いている時だったが、たまらず立ち止まってしまい、再び歩き始めるまで、数分かかったほどである。 この出来事で、ようやく私は、自分の健康状態が深刻であるとの認識を持った。素人判断で痔と思い込んでいたから、さっそく痔についての情報を得ようとした。しかし、恥ずかしいから病院に行けない。当時はインターネットという情報検索手段もない。が、偶然、新聞の広告で、手術せずに薬だけで痔を治すという「ヒサヤ大黒堂」の宣伝を知り、さっそくその店舗に行った。東京駅八重洲口からすぐの店である。上述の、私の素人なりの痔についての知識は、当店が発行するパンフレット類や薬に添付する解説書が起点となっている。
何よりも手術せずに(手術なしで)痔を治すというアプローチに飛びついたわけだから、たとえ当店が痔に関する詳しい情報を発していなかったとしても、私は当店の薬を購入したであろう。が、実際にはとても分かりやすい説明があり、「これならばたしかに手術せずに(手術なしで)痔を治せる」と信じることができた。具体的にどういう説明なのか、ここに紹介するよりも、当店発行の情報を直接ご覧頂いたほうが正確なので、検索エンジンで「ヒサヤ大黒堂」と引いてみて頂きたい。(当店サイトへのリンク許可を得ていないので、お手数ですが) ちなみに、当店が販売する薬は、いわゆる漢方であり、治療の柱となるのは貼付薬である。チューブに入った薬を、肛門内部へ注入した上、肛門外部にも湿布のようにしてあてがう。 「手術せずに(手術なしで)痔を治せる」と信じて開始した治療であったことも、心理的にプラスになったのかもしれないが、初めて同薬を注入し貼付した時に、それだけでもずいぶん肛門周囲が楽になった。なにしろ、高圧電気のような激痛があってようやく治療に踏み切ったわけだが、それ以前に肛門はずたずたになっていたので、楽になったという感覚は相当なものだった。この感覚を持てたことにより、初回の治療は円滑にいった。ちなみに、ここで「円滑に」という言葉を使うのは、この薬は、上述のように肛門への注入と貼付をするかたちで使用するもので、一回あたりの使用量は多く、それが貼付用の布からはみ出て下着や衣服に染み出てしまないようにしなければならないので、毎回手間がかかる。その手間が面倒で治療を投げ出してしまう可能性もあろうものの、毎回の注入・貼付の際に肛門周囲が楽になる感覚があったため、治療を投げ出すことはなかったのである。
このヒサヤ大黒堂の薬による初回の治療を終え、一時期、肛門が楽になったわけだが、下痢体質と暴飲暴食は止んでいなかったために、再び出血や痛みが発生した。効果を実体験していたから、再びヒサヤ大黒堂の薬を購入し、治療をした。こうした反復措置を、29歳の頃から53歳までの24年間に、6、7回行った。もっとも、加齢に伴い暴飲暴食の程度が徐々に軽くなってきたので、ここ十年近くは、治療を行っていない。したがって、14年間に6、7回治療したことになり、おおざっぱに言えば2年に1回のペースの治療である。 悪化したらヒサヤ大黒堂の薬に頼ればいいという、或る面、大変安易な考えで、肛門管理をし続けているから、まだ一度も病院には行っていないし、他の療法も実施していない。これが、冒頭に紹介した義父のケースのように、痔と思っていたら癌だった、という危険性がなくはないが、ここ約十年、少なくとも高圧電気のような激痛がないため、また出血があっても、その頻度は十年前までに比較すると激減したために、放置してある。
しかしながら、今度はたぶん痔とは関係のない症状であろうが、肛門周囲の粘膜と皮膚が、特に夏の暑い時期に、熱でただれたようになり、痒みが発生し、ウォシュレットにより清潔な環境が提供されているものの、それでも痒みを避けることができないため、近々、久しぶりにヒサヤ大黒堂の薬に頼るつもりだ。痔ではないと思われる肛門周囲の症状緩和を目的に、ヒサヤ大黒堂の薬に頼るのは、この薬は痔を治すことを目的にしているには違いないものの、痔を治す主要なプロセスで皮膚や肉を癒すからである。皮膚や肉を癒すからこそ、痔の症状を緩和するとも言えよう。 すっかりヒサヤ大黒堂の薬の宣伝のようになってしまったが、これが私の事実だから仕方ない。
こうやって、素人判断にて痔と思われる症状への対処について振り返ってみて改めて思ったのだが、肛門という部分の課題として取り組んでいても仕方ないということだ。 結局は、血液循環を悪くしないための健康管理が必要なのである。が、血液循環を悪くしないためだけに行う健康管理というのはないから、実際には身体全体の健康管理が必要なのである。そのためには軽い運動も必要だ。そうした努力を怠れば、何度治療しようとも、再発する。
ただし、癌は、その因子があれば、健康管理の有無と関係なく発症する可能性があるので、別課題としなければならない。私自身は引き続き大腸癌の検診をする予定はないものの、冒頭の義父の事例があるだけに、皆さんに対しては、出血があったら大腸癌の検査をお勧めしたい。
これでいったん話を終えるが、もし私が恥ずかしさに打ち勝って病院に行ったら、または恥ずかしさに打ち勝つことができないまま放置しておいた結果、癌を発症した場合には、レポートとして続きを書きアップロードする。
以 上
by M.Makanae 2007年9月 |
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