■セクション3「社員教育のポイント」
さて、以上で当コースの主テーマである「社員教育の定義」を終えた。その定義を前提として、この段階なりに、社員教育のポイントを述べておく。
が、その前に、もう一度、「教育」の定義を確認しておこう。
<「教育」という概念の定義>(再確認)
●望ましい姿になってもらうための、働きかけ。(岩波書店・広辞苑を参照に記述)
この定義を前提とし、社員教育のポイントは、次の通り、7点ある。
1.教育を行なう者自身が、主体性を持つこと。
2.教育を行なう者自身が、社会正義の実現に積極的であること。
3.社員に対してどのような能力を求めているのか明確にし、組織内で共有しておくこと。
4.階層に応じた教育を行なうこと。
5.様々な手段を駆使すること。
6.上司による部下への日常指導を重視すること。
7.人事制度と連携を取ること。
では、以下、それぞれ個別に解説を行なう。
3-1「教育を行なう者自身が、主体性を持つこと」
「教育」とは、その定義文中にあるように、教育する対象者に対し「望ましい姿」を求めるわけであるが、求める者が主体性を持っていなければ、「望ましい」という判断が不可能になるか、あやふやになる。
もし「(どのような姿が)望ましい」という判断をしていなかったり、あやふやであれば、どう働きかけたら良いのかも不明となる。これでは、「教育」は実現できない。
したがって、まずは「教育」を行なう自身が、主体性を持つことが一番に求められる。※1
主体性を持つためには、主体的な思考、および、その思考を行動に反映できる能力が必要である。それについて詳しく述べると、それだけで専門のシリーズとなる。当該シリーズは、2006年春季に開講予定の思考力訓練学科の中で展開するので、ここでは扱わない。
3-2「教育を行なう者自身が、社会正義の実現に積極的であること」
社会正義の実現も、教育を行なう者に限らず、社会体制を前提として活動をしている者ならば皆、積極的であるべきだ。なぜならば、社会正義の実現に消極的な人間が多数派となると社会体制は崩れてしまい、社会体制を前提とした活動が不可能となるからである。
ともかく教育を行なう者は、他者に対し「望ましい姿になってもらうよう働きかける」という、能動的な立場、啓蒙する立場に立つ。その立場に立つ者が社会正義の実現に積極的でないのならばそもそも問題だとも言える。
たしかに、該当法律が設定されていない事柄に関しては何が正義で何が正義でないか適切な判断が難しい場合もあろう。しかし、法の根本精神を汲み取ろうとする意志があれば、たとえ法律が設定されていない事柄であっても、類推することで、適切な判断ができるはずだ。
逆に、「適用される法律がないから」という理由で、自己の都合のよいように好き勝手な振る舞いをしては、場合によっては脱法行為と非難されても当然となってしまう。
昨今、企業不祥事の予防のためにも、社員が法令遵守すべくコンプライアンス教育を優先的に実施する企業は増えている。もし、そうした教育を行なう者自身が、社会正義の実現に積極的でないようであれば、コンプライアンス教育を受ける社員に対する説得力が弱く、教育効果も低くなるだろう。
いずれにしても、「教育を行なう者自身が、社会正義の実現に積極的であること」は、当然かつ重大な社員教育のポイントである。
3-3「社員に対してどのような能力を求めているのか明確にし、組織内で共有しておくこと」
望ましい姿になってもらうために働きかけるには、働きかける前に、「望ましい姿」を明らかにする必要がある。社員教育においては、「望ましい姿」を明らかにするということは、組織にとって必要な人材像を明らかにすることになる。ここでいう「明らかにする」という意味は、教育担当者にとって明らかにするのみならず、その人材像を組織内に公開し、全員が共有しておくことを意味する。
さて、人材像とは、なるべく具体的にすべきだ、と私は判断する。なぜならば、そうでなければ、働きかけようにも、どのように働きかけてよいのか、分からないからである。
では、具体的な人材像は、どのような方法によって全員が共有できるようにしたらよいか?
私は、「社員(または職員)がこういう基礎能力を開発してくれたらいいなあ・・・」との希望に基づく想像を働かせた一覧表を作成し、組織内で公開することを勧める。それを私は「基礎能力開発基準一覧」と称している。この一覧表のサンプルは次期コースにて示すが、組織が組織メンバーに求めたい能力を定義し組織内に公開すれば、それ自体が「望ましい姿になってもらうための働きかけ」となること、つまり社員教育となることを、とりいそぎ伝えておく
3-4「階層に応じた教育を行なうこと」
求めたい能力は、組織内の階層で共通するものもあれば、異なるものもある。また、同じ能力であっても、その能力を適用して処理する仕事の内容や難易度は階層によって異なる。したがって、教育は、階層に応じて行なうことになる。もし階層に応じた教育を行なわないようなことがあれば、教育効果が出ないどころか、場合によってはマイナスの逆効果となろう。
たとえば、業務の最前線に大量動員され定型的な作業を毎日繰り返す階層に対して、役員が、「皆さん一人ひとりが社長になったつもりで身を粉にして働きましょう」と演説や印刷物等で働きかけをすることがあれば、よほどの成果報酬と便宜供与を与えるのならば別として、逆効果となると私は判断する。
では、この階層にはどういう働きかけが適切かつ効果的か? 私が知っている例の中で最も感服した一つの事例として、米国ディズニーランドのケースがある。それは、テーマパークの休園日を利用して、いわば従業員感謝デーを実施し、従業員と家族を 招待、マネジャークラスがコスチュームを着てパークを運営し、おもてなしをする、という働きかけ方だ。
この教育のメインターゲットはもちろん従業員で、招待された側の従業員が日頃の労を感謝されることで、会社への忠誠心や労働意欲が高まるという効果がある。しかし、あくまで副産物ではあるものの、日ごろ従業員を監督しているマネージャークラスが、接客の手本を自らみせる機会ともなり、それはマネージャー自身の心を引き締める効果がある。この機会に、従業員を感心させるほどの素晴らしい手本を見せることができれば、日頃の監督指導もスムーズにいく。これは、「襟を正しなさい」という、組織からマネージャークラス自身に対する働きかけになっている。
ディズニーランドの話を持ち出したついでに、もう一つ、同社の例を話すと、それはマネージャークラスの集合研修と、従業員の集合研修における、研修主催者側の開催方針の根本的な違いである。どう違うかと言えば、マネージャークラスに対しては、そもそもマネージャークラスは自発的な理解力が高く、だからこそ高額報酬も得ているという前提のもと、淡々と研修を行なう。インストラクターは事実情報をスピーディに伝え、教室における受講者への気配りも最小限である。
かたや従業員に対しては、「マネージャークラスほどの自発的な理解力がない」「たとえ自発的な理解力があったとしてもそれを発揮する義務があるほどの報酬を得ているわけではない」との前提に立ち、懇切丁寧に研修を行なう。それも、教え方が懇切丁寧というのみならず、インストラクターによる受講者への気配り(たとえば「体調不良で気分がすぐれない人はいないだろうか」「教室の温度が暑くないだろうか・寒くないだろうか」「休憩時用に用意してあるコーヒーは煮詰まっていないだろうか」)等々、VIPをもてなすのと同じつもりで対応する。
こうした事例を語ることができるのも、私自身、東京ディズニーランドの運営部門の教育担当者として、米国ディズニー社のインストラクター養成担当のマネージャーによって厳しく仕込まれたこともあるからだが、こうした実体験の後に講師業へ転身して日本の企業内研修の現状を知った際、上述の逆(つまり階層が上ほど懇切丁寧に、階層が下ほど淡々と)の対応を求める企業が結構多いのに、当初は戸惑ったものである。
ちなみに、数年前、英国が本拠地で日本国内にもサービス網を持つ某企業の研修担当者と正式に情報交流する機会があったが、彼らの階層別研修の方針も、「階層が上ほど淡々と、階層が下ほど懇切丁寧に」とのことであった。米国やディズニー社だけが特殊ということではないのである。
米国や英国では、マネージャークラスは従業員クラスより遥かに高い報酬を約束されている。が、その当然の条件として自発的理解力の高さがあり、もし低いということが発覚すれば契約更新してもらえないことすらあり、だから上位階層には淡々とした研修で済むというというわけだ。
しかし、日本であっても冷静に考えみれば、マネージャークラスは従業員クラスより高い報酬を約束されている。
そのぶん、総人件費抑制のため、労働単価が低い臨時従業員やパートタイマーには、業務の最前線にて定型的な作業を毎日繰り返す職務で活躍してもらっている。マネージャークラスと従業員クラスという組織内階層は、英米であれ日本であれ、同じなのである。だから、私が東京ディズニーランドで教育の仕事に携っていた際に叩き込まれた米国ディズニー社による階層別の教育アプローチの考え方は、日本でも大いに参考にできると確信する。
3-5「様々な手段を駆使すること」
繰り返し確認するが、当コースにおいて、「教育」とは「望ましい姿になってもらうための働きかけ」である。こうである以上、何ら「教育」の手段は特定されない。だからこそ、前項で例を述べたような米国ディズニーランドでの従業員感謝デーのように一見「教育」に見えないような手段であっても、社員教育に該当するのである。
もちろん、教室に集めて、硬いテーマの集合研修を行なうのも、社員教育である。通信教育やeラーニングも社員教育である。教育したいテーマについて、目に付くところにポスターを貼るのも社員教育である。接客サービス業においては、笑顔とお辞儀が特に大切だからと言う理由で、たとえば航空会社の元客室乗務員を講師として招き、笑顔の作り方やお辞儀の仕方の訓練を行なうのも、社員教育である。が、同じく笑顔とお辞儀が特に大切だからと言う理由で、従業員専用ゲートに教育担当者が笑顔とお辞儀で従業員をお出迎えするのも、社員教育である。また、たとえば勤続累計時間が500時間なり1000時間なり所定の時間に達したパートタイマーを、勤務時間中に部屋に集め、役員が感謝の意を表明した後、記念品を渡し、役員が去った後にお茶とケーキでおもてなしをするもの、社員教育である。
とにもかくにも、社員教育は、予算が許す限り、ありとあらゆる手段を駆使することがポイントなのである。
3-6「上司による部下への日常指導を重視すること」
前項にて、社員教育の手段の例をアトランダムに列挙したが、無数に考えられる手段の中でも、最も重要、かつ、官民業種かかわらず、予算があろうとなかろうと必ず行なうべき手段がある。それは、上司による部下への日常指導だ。
理想通りにさえ行なわれれば、これほど効果が高い働きかけはない。逆に、理想と反した形で行なわれれば、これほどマイナスの効果をもたらす働きかけはない。社員は育成されないどころか、労働意欲は減退し、倫理観も低下すること必至である。
では、「上司による部下への日常指導」の理想とは、どのようなものか? 実は、この理想が描かれた良書があるので紹介する。それは、「1分間マネージャー」(K.ブランチャード&S.ジョンソン著/ダイヤモンド社である。ロングセラーの著名な本なので、ご存じの人も多いと思う。
ここにその内容を記載すると著作権侵害になるので書名紹介に留めるが、同書においては、同書のみならず広く一般に言われている部下指導の基本、「a.仕事を明示し」「b.ちゃんとやったら労いの言葉をかけ」「c.ちゃんとやれなかったら直ちに注意叱責する」というサイクルを継続していく上司の姿が、ちょっとした冒険風の読み物として面白く描かれている。ページ数も少なく、活字離れしてしまった人でも、短い時間で読める良書だ。組織としては、ぜひ、管理職全員に買い与えて頂きたい。※2
ちなみに、管理職に本を買い与えるという働きかけを行うのも、「教育」であることは言うまでもない。
なお、どのように部下を注意叱責していいか分からないと悩む管理職のために、「育成のための部下の注意叱責の仕方」というビデオ教材を使ったコースを、コース001001にて展開しているのでご参照下さい。
3-7「人事制度と連携を取ること」
さて、組織として様々な手段で社員・職員へ働きかけ、その働きかけに応じて社員・職員たちが呼応してくれても、それなりに報いてあげなければ、せっかくの効果も持続しない。
前項の3-6のb(そしてc)によっても報いることになり、これだけでも大きな効果が期待できる。
しかし、いわゆる正社員・正職員や、それに準じた雇用契約の人たちに関しては、処遇に反映する形でも報いてあげなければ、3-6のb(そしてc)の効果も持続しないのが現実である。
そこで、「人事制度と連携を取ること」によって、働きかけに呼応した人(および呼応しない人)へ処遇に反映する形で報いることが、社員教育のポイントとなる。ただし、この方法は、いわゆる正社員・正職員やそれに準じた雇用契約の人たちに限定される。※3
連携の取り方は、「教育」側の観点にて定めた基礎能力(3-3参照)の項目について考課を行ない、処遇に反映させるのである。
この考課の対象となる能力項目は、考課の時期になって降って沸いてくるものではない。3-3の趣旨の通り、組織内で公開され全員が共有されていることが前提となる。この前提をもとに、上司は、日頃より部下の行動を観察する。そして、該当能力の不足により業務上支障が発生した場合には、「該当能力と業務上支障の因果関係」を明確にした上、注意叱責をし改善を迫る。こうした日常指導を続けた結果を、期末に振り返り評価する。こうして行なわれた能力考課は、もう一本の評価の柱である「実務考課」と併せて処遇に反映する。
また、組織全体で、能力考課の結果を集計し、マイナス評価が多かった能力項目について優先的に、研修や通信教育等で強化を図る。
なお、人事制度の具体的な方法については、コース000070「人事制度の構築と運営・運用の方法」を受講頂きたい。
※1:
何も教育に関わることのみならず、あらゆる判断は、判断をする者の主体性が必要である。
※2:
ちなみに、管理職に本を買い与えるという働きかけを行うのも、「教育」である。
※3:
つまり、臨時従業員やパートタイマーは想定外となる。