セクション2

■セクション2
「『問題』という概念の定義」 問題解決研修


2-1「問題解決の大前提となる『問題の概念定義』」

ステップの説明に入る前に、問題解決の大前提を確認する。その大前提とは、「問題」という概念の定義である。なぜ、『問題の概念定義』が問題解決の大前提となるのか?

何も「問題」に限らず、組織のメンバー間で概念や用語について解釈がバラバラであれば組織が混乱するが※1、こと「問題」については混乱するからである。

たとえば或るメンバーが或る事を問題であると判断し、その解決策を上司に提案したところ、上司はそれは問題ではないと判断し却下してしまったが、やはりそれは問題であった・・・といった場合、組織は混乱する。

逆に、上司側が或る事を問題だと思い、解決行動を部下たちに強く訴えても、部下たちがそれは問題ではないと受け止めいい加減に対応した・・・といった場合も、組織は混乱する。

また、或る部署が問題だと思い、解決に向けての協力を他の部署へ要請したところ、他の部署としてはそれは問題ではないと考え協力をしなかった・・・といった場合、組織は混乱する。

「こうしたことは、単なる価値観の違いであり、それはよくあることで、それにより組織が混乱すると言うのはオーバーだ」等の意見もあるかもしれない。しかし、私は、こうした食い違いは、やはり組織の混乱を招くと思う。つまり、「問題」という概念の解釈・判定の不一致は、それ自体が大きな問題なのである。


2-2「『問題』という概念の定義」

では、当コースにおける「問題」という概念の定義とは? それは次の通りだが、これはあくまでも組織運営・業務運営の上での問題に限っての定義である。それ以外の問題、たとえば人生問題、社会問題、国際問題等々は範囲外なので誤解なきよう。※2

●当コースにおける「問題」の定義

所定の基準に達していない事態・状態・状況・場合等。

ただし、この定義は、「所定の基準」が妥当であるとの前提に立つ。

この意味では、「問題」という概念の定義は、「妥当なる所定の基準に達していない事態・状態・状況・場合等」という形で、「妥当なる」の一言を加えるべきかもしれないが、そもそも基準は妥当であるべきとも言えるため、割愛した。

「所定の基準」という用語に抵抗感のある人は、「標準」や「要求水準」とか、「あるべき状態」等の言葉で代替して頂いても構わないが、どの言葉を採用しようと、組織内で用語統一できる(または用語統一しやすい)ことが条件となる。

なお、「理想の状態」「最高の状態」「ベストの状態」という言葉を適用すると美しくはあるものの、後述(2-6)の「建設的課題」に取り組み目指す成果との違いが分かりにくくなるので、これらの言葉で置き換えることはお勧めできない。


2-3「『所定の基準』とは?」

さて、前項の通り「問題」を定義するならば、その定義文の中にある「所定の基準」という概念も定義する必要が出てくる。

では、ここでいう「所定の基準」とは? その定義は次の通り。

●当コースにおける「所定の基準」の定義

組織や業務の運営状態が「これでよし※3」と判断できる諸々の目安。

ここでいう目安とは、定量的な目安に限らない。定性的な目安も含める。

たとえば、営利目的の組織の場合、期ごとに収支の目標を定めると思うが、それは定量的な目安に該当する。もし収支目標に達することができなかった場合、それは問題となる。

部品製造において製品の精度について基準を定めた場合も定量的な目安に該当し、もし製品が精度の基準に達していない状態があれば、それは問題となる。

定性的な目安は、たとえば組織の理念はそれに該当する。だから、もし組織や業務が理念に到達していなかったり、理念に矛盾するようなことなどがあれば、問題となる。

或る作業の手順を規定した場合も、それは定性的な目安となる。だから、もしその手順通りに作業が行われないようなことがあれば、問題となる。※4

他にも、組織や業務の運営状態が「これでよし」と判断できる目安は、色々とあるはずである。


2-4「『問題』の有無を論じる前に、必ず点検すべきこと」

前項までに述べたことから、「問題」の有無を論じる前に、必ず点検すべきことが浮上する。それは3点。

第一は、「所定の基準の有無」である。
もし基準が無いならば、基準が無いこと自体が問題となる。※5

第二は、所定の基準が有ることを確認した上で点検すべきこととなるが、「その基準の設定が妥当か否か」である。もし妥当でないならば、妥当でない基準を定めたこと自体が問題となる。※6

第三は、妥当なる所定の基準が有ることを確認した上で点検すべきこととなるが、「そのせっかくの情報を共有できる状態となっているか否か」、である。もし共有できる状態になければ、共有できる状態にないこと自体が問題となる。※7

2-1にて「問題」の解釈・判定の不一致は大きな問題と述べたわけだが、それ以前に「基準がない状態」「妥当ではない基準の設定」「せっかくの基準が共有できない状態」という問題の有無を点検し、もしそうした問題が有るのなら、そちらを先に解決しなければならない。そうしなければ、問題解決のステップへと進むことができない、ということなのである。

これを回り道と受け止める人もいるかもしれない。しかし、妥当なる基準が共有できている組織ならば、問題の解釈・判定の不一致の確率が減り、組織内の協力も推進されるであろう。その結果、問題の発生率も減少するであろう。だから、「基準がない状態」「妥当ではない基準の設定」「せっかくの基準が共有できない状態」という問題がないか点検することを、回り道としてではなく、当然、通過していく道と受け止めて頂きたい。


2-5「基準についての疑問を解く」

ここで、脇道にそれるが、「基準」についての補足説明を、一つだけ行いたい。

というのも、前項までを読む中、「組織運営上・業務運営上のあらゆる事柄に、一々個別に所定の基準を定めていくことはできないのでは?」という疑問が沸く可能性があり、この疑問を解いておきたいからである。

まず、なぜこの疑問が沸く可能性があるか説明しよう。

たとえば1万人の職員がいる組織があるとして、仮に一人平均50の作業(小単位の仕事)を担当していたとすれば、その組織には総数50万の作業があることになる。そこで、「一部の作業ならばまだしもそのすべてに一々個別に基準を定めると、合計50万の基準作りをすることになり、これだけ膨大な基準作りなど到底不可能だ・・・」といったような考えが起きても自然だからである。

しかし、冷静に考えていくと、実際には、これだけ膨大な基準作りを組織内で行う必要がないことが分かるはずで、この疑問は誤解に基づくものであることに気づいて頂ける。

たとえば、この世で最も強制力を持つ基準として、法律や条例等の基準があるが、それは組織外から情報提供される。だから提供された情報をそのまま、「これでよし」もしくは「これ以上にしよう」との目安として用いればよい。

職務総数に関しても、冷静に考えれば、職員の総数より職務の総数が下回る※8ことが分かるはずで、それゆえ、たとえ一つ一つの作業について基準を作ったとしても、上述のような基準の数にまでならないことは理解できる。

たとえば、仮に職員総数1万名の旅客運輸の航空会社があり、毎日平均500便を飛ばしている運営状態だとしよう。すると、まずは述べ人数にして少なくとも500の機長が毎日稼動していることになり、かつ、交替要員としてさらに500名スタンバイしているとすれば、機長に就く人が千名存在することになる。だから、職員の総数が1万人でも、職務の総数は機長の分だけ考えても9千を超えることはない。さらに副操縦士に就く人が機長と同数ならば、職務総数は8千以下となる。さらに、客室乗務員が1機当たり5名、交代要員も同数とすれば、職務の総数は3千以下となる。さらに空港でのチェックイン職務、整備等々、一職務に複数の職員が就く職務を数えていけば、職員の総数より職務の総数が随分と下回ることが理解できよう。

細かいたとえと出してしまったが、では、この航空会社が「死傷者ゼロ」という理念を掲げていれば、その一言だけで旅客機運航に関わる全ての職務と作業に関わる明確な基準となる。

したがって、組織運営上・業務運営上のあらゆる事柄に、一々個別に所定の基準を定めていく必要はないことになり、冒頭に述べたような疑問は解消する。

なお、上述の他にも「基準」のたとえを多数あげることができるが、それは「基準」をテーマとした専門コースにて改めて別途行うこととする。


2-6「建設的課題について」

以上の説明はすべて、所定の基準とそれに達していない場合に関わる説明である。では、基準には達しているものの、さらに基準以上に高めたい課題についてはどう考えればよいのだろうか?

名称については、「建設的課題」と呼ぶことを私は勧めている。

注意点としては、「問題」と別扱いすること、つまり「問題」と「建設的課題」を混同しないことである。

「まさかこの両者を混同する人などいないだろう」との意見もあるかもしれない。が、意外にもいるものだ。

たとえば、部下なり請負業者なりが、与えられた仕事を終え結果を、上司なり発注者なりに示したところ、「それでは不足だ・物足りない」と怒鳴られるケースがある。

こうしたケースは、たいてい、基準が無いか・基準を共有できていなかったことが原因だと思う。

しかし、時おり、「基準には達しているがそれだけでは物足りない。さらに上を目指せないのか」という高度な要求をしているにもかかわらず、要求している側がそれを認識していないため、あたかも問題が発生しているように自分自身取り違えていることが原因となっている場合がある。

だから、私たちは、やはり「問題」と「建設的課題」とを仕分けし、別扱いしなければならない。が、そのためにも、まずは所定の基準が必要であることを理解して頂けるだろう。

当コースは、問題に関するコースで、建設的課題に関するコースではないので、それこそ両者の混同を避けるため、建設的課題についてはこれ以上は触れない。いずれ別の機会にて触れる。が、ともかく、優先すべきは問題解決である。もし問題解決を後回しにして建設的課題に取り組もうする姿勢があるのならば、それこそ問題である。※9


※1:
私が言うところの「組織が混乱する」とは、どのような事態・状態を指しているのか?
それは、「組織力を発揮できない状態」を指している。なお、「組織力」は「チーム力」へと置き換えて解釈して頂いても構わない。

※2:
人生問題、社会問題、国際問題等々は、当コースにおける「問題」の定義文中の、「所定の基準」について関係者の合意を事前に形成することが不可能な事柄、困難な事柄があまりにも多い。それゆえ、当コースの定義は適用できない。定義が適用できない以上は、当コースの説明も適用できない。

※3:
ここで言う「これでよし」との判断とは、必ずしも「それ以上高めようもない最高の状態」に対して下すものではない。むしろ、「最高ではないが、このレベルを維持し続けることさえできれば業務に支障は出ないであろう状態」に対して下すほうが現実的である。

※4:
だからと言って、すべての作業手順を規定化し文書化しようとは考えないこと。作業担当者に作業の方法を任せるべき場合も多くあるはずで、そうした作業には作業手順書は不要である。この考えに関しては、                                            で詳細に説明してあるので、そちらを受講のこと。

※5:
「たくさんの仕事のすべてに渡り、基準を定めることなど不可能では?」という疑問に対しては、このあとすぐ応える。(2-5にて)

※6:
「妥当でない基準」の典型の一つは、その組織の実力では到底届きそうもない基準である。届きそうもない基準は、見方によっては理想の基準であったり夢の基準であったりして美しく感じられるが、なまじ従業員が熱心だと、その基準を達成しようと無理のある業務運営を行い、事故・災害を誘発することになりかねない。逆に従業員が冷静だと、建前の基準として形骸化し、組織のモラルやモラールが低下する。
もう一つの典型は、法律を下回る基準であるが、こちらのほうは私が注意を喚起するまでもなく、誰もが充分理解している例だと思う。

※7:
その時点では情報を共有していなくても、共有しようと思えばすぐに共有できる体制になっている場合は、ここでいう「情報を共有できる状態にない」には該当しない。
たとえば、上司と部下の両者が、或る規定に関して知識がないことが分かり、「じゃ、一緒に、規定集を見てみようか」ということになり、一緒に規定集を閲覧し、該当規定について一緒に知る・・・という状態になっていれば良い。知らなくても忘れていても、知ろうと思えばいつでも知ることができる、確認しようと思えばいつでも確認することができる、という状態・体制を、組織は維持する必要があるのだ。

※8:
これはあくまでも職員が何十・何百・何千・何万もいる組織における話である。たとえば私が代表取締役をしている会社は、私の自営業時代からの延長線にあり実態としては私の個人事務所のようなもので、常勤の社員が私一人しかおらず、あと皆、非常勤やパートタイマーであり、ほとんどの仕事の私一人でこなす。具体的には、経理も営業も経営企画も庶務もITも研究開発も製作も、一人でこなす。つまり、一人の職員が複数の職務をこなすわけである。
しかし、これは組織というより個人の事業といったほうが良いほど職員数が少ない事業形態だからこうなるだけのことだ。職員が多い組織においては、職員の総数より職務の総数が少なければ少ないほど、生産性が高くなり、人数規模の大きな組織を形成している効果を得ることができる。

※9:
2005年12月、某大手電機メーカーが、十年以上前に自社が販売した製品の故障により死者が出たことを受け、同社の全てのCMを当該製品の警告および買い取り・無償修理および謝罪をする内容に切り替えた。この内容をTVのCMでご覧になった人は多くいると思う。
死者が出るという最悪の事態であるから、当然の対応である。
が、この大手電機メーカーは、少なくとも、左記で注意喚起した「問題解決を後回しにして建設的課題に取り組もうする姿勢があるのならば、それこそ問題である」という点はクリアしている。死者が出たことの責は引き続き負わなければならないが、問題解決を優先しているこの姿勢は認めてあげるべきだし、見習うべきだ。


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